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「江ノ島鎌倉観光300形電車」の版間の差分

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'''300形電車'''(300がたでんしゃ)は[[江ノ島電鉄]]の[[電車]] 。[[1956年]](昭和31年)から[[1968年]](昭和43年)まで計6編成が就役するも、全てが異なる経歴を持つが、[[連接車]]である点は共通。現在も3編成が現役で、現存車は全てが冷房化などの近代化改造を受けている。
'''300形電車'''(300がたでんしゃ)は[[江ノ島電鉄]]の[[電車]] 。[[1956年]](昭和31年)から[[1968年]](昭和43年)まで計6編成が就役するも、全てが異なる経歴を持つが、[[連接車]]である点は共通。現在も3編成が現役で、現存車は全てが冷房化などの近代化改造を受けている。
[[画像:ENODEN300-2.JPG|thumb|200px|江ノ島電鉄300形電車304編成…稲村ヶ崎駅周辺にて2005年6月25日撮影]]
[[画像:ENODEN300-2.JPG|thumb|200px|江ノ島電鉄300形電車304編成…稲村ヶ崎駅周辺にて2005年6月25日撮影]]

2005年7月16日 (土) 08:14時点における版

300形電車(300がたでんしゃ)は江ノ島電鉄電車1956年(昭和31年)から1968年(昭和43年)まで計6編成が就役するも、全てが異なる経歴を持つが、連接車である点は共通。現在も3編成が現役で、現存車は全てが冷房化などの近代化改造を受けている。

江ノ島電鉄300形電車304編成…稲村ヶ崎駅周辺にて2005年6月25日撮影

現役車

303編成(303-353)

  • 1957年(昭和32年)に100形103号と104号を連接化して登場。後述の302編成、500形502編成と共に納入され、ほぼ同時に運行開始した。当初はヘッドライトは屋根上に一灯で、集電装置もポールだったが、後の改造でヘッドライトは窓下2灯化され、集電装置もZ形パンタグラフを経て菱形パンタグラフに乗せ変えられている。これは他編成にも行われた。当初は無かった乗務員扉も取り付けられている。
  • 1992年(平成4年)に冷房化を施行。同時に屋根の張り上げ化と走行機器の新性能化も行われたが、これにより登場時の面影は大きく失われている。

304編成(304-354)

  • 1958年(昭和33年)に100形106号と109号を連接化した。この車両では登場時から乗務員扉を設置しており、屋根も張り上げ屋根だった。車両更新と冷房の搭載は303編成より一足早く、1991年(平成3年)に行っている。

305編成(305-355)

  • 1960年(昭和35年)に増備された。車体は新製され、304編成を基本に窓を大きくし、側面は当時流行のバス窓構造になったものの、ヘッドライトは相変わらず上部に1灯だけでの登場となった。ほとんど新造だったが、台枠京王帝都電鉄(当時)から購入の物を利用したために完全な新車ではない。
  • 更新改造は最も早く、1989年(平成元年)に行われたが、何故か床は木造のままとされた。ちなみに、鎌倉方が50番台となったのはこの編成が最初であり、それまでは2両が同番号を名乗っていた。

退役車

301編成(301-351)

  • 1956年(昭和31年)に都電出身の113号車(2代目)と114号車(2代目)を連接化した車両。改造時に側面はその後の編成と同じような形態にされたが、強度上の問題から前面のバンパーは残された。他車に準じた改造がなされたが、近代化改造は施行されず、1991年(平成3年)に廃車されている。引退前にはかつての納涼電車風の塗装となっていた。

302編成(302-352)

  • 1957年(昭和32年)に100形101号と102号を連接化した。303編成と同じ外観で登場し、その後も同じように改造を受けてきたが、近代化改造は施行されなかった。それが2つの編成の運命を分ける事になり、こちらは、1997年(平成9年)に引退している。引退後は山梨県南巨摩郡のキャンプ場でバンガローとして利用されている。

306編成(306-356)

  • 前身は1956年(昭和31年)登場の200形である。200形連結車で収容力も大きかったが、江ノ島電鉄は急曲線が多いため制約も多かったので、1968年(昭和43年)連接車への改造となった。そのため登場はもっとも遅くてもグループ内ではもっとも古いという事が起こっている。
  • ボディーは301編成と同じ都電の物だが、改造時期の違いから別の形態になっている。また、300形で唯一、登場時から窓下にヘッドライトが設置され、ノーシル・ノーヘッダー方向幕の装備や前面の塗り分けをいわゆる「金太郎」にするなどと300型では同車だけの特別な装備も付けられた(ノーシル・ノーヘッダーは新造車である305編成でも採用)が、一般化のために他編成と同じ様にされてしまった上に窓上の寸法も変更されなかったため、最後まで同編成に残された個性は丸っこくてアンバランスなな外観だけだった。
  • 古い車両に大掛かりな改造を何度も行ったため、登場時から車体の傷みが激しく、老朽化も進んでいたため、300型ではもっとも早い、1991年(平成3年)に廃車されている。