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==概要==
==概要==
ゼロ金利政策は[[金利]]をほぼゼロにしてしまうのは経済における金利機能の低下をもたらし、[[流動性の罠]]をも招きかねないという考えがあった。ゼロ金利政策は国民や企業の金利所得が大幅に減る一方で、企業の評価損による累積債務を償還するのに大きく役立つとされる
[[1998年]]、日本では[[バブル崩壊]]後最悪の経済状況となる中で、大規模な[[財政政策]]が取った。金融政策においても緩和が求められることになり、1999年2月、[[日本銀行]]は短期金利の指標である[[無担保コール翌日物]]金利を史上最低の0.15%に誘導することが決定された。この時、当時の[[速水優]][[日本銀行]]総裁が「'''ゼロでも良い'''」と発言したことからゼロ金利政策と呼ばれるようになった。


[[1998年]]、日本では[[バブル崩壊]]後最悪の経済状況となる中で、大規模な[[財政政策]]が取った。金融政策においても緩和が求められることになり、1999年2月、[[日本銀行]]は短期金利の指標である[[無担保コール翌日物]]金利を史上最低の0.15%に誘導することが決定された。この時、当時の[[速水優]][[日本銀行]]総裁が「'''ゼロでも良い'''」と発言したことからゼロ金利政策と呼ばれるようになった。2000年のITバブル景気を機に一時解除されるが、2001年のITバブル崩壊を機に事実上復活。2006年に景気回復を理由に再び解除となるが、2008年12月の世界金融危機と米国のゼロ金利導入を機に復活した。
日銀で、[[デフレーション|デフレ]]下とはいえ[[金利]]をほぼゼロにしてしまうのは経済における金利機能の低下をもたらし、[[流動性の罠]]をも招きかねないという考えがあった。このため、ゼロ金利政策はあくまで一時的で緊急の措置であり、すぐにでも解除したい構えであった。しかしながらバブル崩壊による企業の負債は大きく解除には様々な圧力がかかった。そしてこの政策が長引いた結果国民や企業の金利所得が大幅に減ったが、企業の評価損による累積債務を償還するのに大きく役立った


[[スイス]]は2003年3月にターゲットレンジの下限をゼロと置いて事実上のゼロ金利政策を導入して2004年9月まで続けた。2008年12月に政策金利を再びゼロ金利政策を導入した。
[[スイス]]は2003年3月にターゲットレンジの下限をゼロと置いて事実上のゼロ金利政策を導入して2004年9月まで続けた。2008年12月に政策金利を再びゼロ金利政策を導入した。


[[アメリカ]]は2008年12月に[[FRB]]が[[FF金利]]の誘導目標を年0%~0.25%に設定し、事実上のゼロ金利政策を取った。これを受け、[[日本]]でも2008年12月19日に日銀が[[無担保コール翌日物]]金利の誘導目標を0.1%に設定することを決定。いったんは解除したゼロ金利政策を再び実施する方向へと舵を切りなおした。
[[アメリカ]]は2008年12月に[[FRB]]が[[FF金利]]の誘導目標を年0%~0.25%に設定し、事実上のゼロ金利政策を取った。これを受け、[[日本]]でも2008年12月19日に日銀が[[無担保コール翌日物]]金利の誘導目標を0.1%に設定することを決定。いったんは解除したゼロ金利政策を再び実施する方向へと舵を切りなおした。

==ゼロ金利政策の解除==
===2000年の一時解除===
[[1999年]]末には、アメリカの[[ITバブル]]の波及で日本にも急速な景況改善が見えてきた。翌春にはITバブルは崩壊したが、しばらく日本経済の小康状態が続いたことなどから、[[2000年]][[8月11日]]の[[金融政策決定会合]]でゼロ金利政策は解除が決定された。

しかし、その後世界的な同時不況が訪れ、2000年末に景気後退が始まった。このため、早くも翌[[2001年]]2月末には政策金利である無担保コールレートは0.25%から0.15%に引き下げられ、3月には[[量的金融緩和政策|量的金融緩和]]が開始されて無担保コールレートは実質的にゼロに低下し、再びゼロ金利政策が始まった。

2000年8月の時点では、消費者物価は前年比で下落を続けており、政府は物価が持続的に下落するデフレが続いているとして、ゼロ金利政策の解除に反対する姿勢を見せた。しかし、日銀は物価の下落を[[良いデフレ論争|良いデフレ]]として問題ではないとする立場をとった。

2001年以降の金融緩和の中で[[長期金利]]は低下を続け、[[2003年]]には0.43%にまで落ち込んだ。この0.43%という長期金利は世界史上最も低い利率とされる。

===2006年の解除===
米国経済がITバブル崩壊から立ち直ると日本の景気も回復に向かい、2002年初めからの長期にわたる景気回復局面を迎えた。2005年になると消費者物価の下落は緩やかとなり、2006年に入ると前年比で上昇するようになった。このため日銀は3月9日の金融政策決定会合で量的金融緩和政策を解除し、無担保コールレートを概ねゼロ%で推移するよう促すという、純粋なゼロ金利政策に移行した。その後も景気回復が続き物価下落の圧力も低下したことから、[[7月14日]]の政策委員会・金融政策決定会合でゼロ金利政策の解除が全会一致で決定され、短期金利が実質的にゼロという状況は2001年3月以来、5年4ヶ月ぶりに解除された。
しかし、2006年8月のCPI基準改定により2005年を基準年とすると2006年1月・4月がマイナスだったことが明らかとなり、金利引き上げが時期尚早だったという批判もでた。


==経済への影響==
==経済への影響==
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諸外国通貨との金利スプレッド縮小への期待から自国通貨安が減速ないし自国通貨高への反転が起きやすくなるが債券価格は下落しているため国際社会において信用低下と判断されれば逆に通貨安となっていく。なお、これにより経常収支の黒字・資本収支の赤字が縮小する。これは、国内経済の拡大により内需が拡大しているため外需へ振り向ける余力が低下しているか内需への期待感から集中投資が行われているか内需外需がともに伸び悩んでいる状態かの三つのうちの一つが反映しているとされる。
諸外国通貨との金利スプレッド縮小への期待から自国通貨安が減速ないし自国通貨高への反転が起きやすくなるが債券価格は下落しているため国際社会において信用低下と判断されれば逆に通貨安となっていく。なお、これにより経常収支の黒字・資本収支の赤字が縮小する。これは、国内経済の拡大により内需が拡大しているため外需へ振り向ける余力が低下しているか内需への期待感から集中投資が行われているか内需外需がともに伸び悩んでいる状態かの三つのうちの一つが反映しているとされる。

== 各国の事例 ==
===日本===
;2000年の一時解除
[[1999年]]末には、アメリカの[[ITバブル]]の波及で日本にも急速な景況改善が見えてきた。翌春にはITバブルは崩壊したが、しばらく日本経済の小康状態が続いたことなどから、[[2000年]][[8月11日]]の[[金融政策決定会合]]でゼロ金利政策は解除が決定された。

しかし、その後世界的な同時不況が訪れ、2000年末に景気後退が始まった。このため、早くも翌[[2001年]]2月末には政策金利である無担保コールレートは0.25%から0.15%に引き下げられ、3月には[[量的金融緩和政策|量的金融緩和]]が開始されて無担保コールレートは実質的にゼロに低下し、再びゼロ金利政策が始まった。

2000年8月の時点では、消費者物価は前年比で下落を続けており、政府は物価が持続的に下落するデフレが続いているとして、ゼロ金利政策の解除に反対する姿勢を見せた。しかし、日銀は物価の下落を[[良いデフレ論争|良いデフレ]]として問題ではないとする立場をとった。

2001年以降の金融緩和の中で[[長期金利]]は低下を続け、[[2003年]]には0.43%にまで落ち込んだ。この0.43%という長期金利は世界史上最も低い利率とされる。

;2006年の解除
米国経済がITバブル崩壊から立ち直ると日本の景気も回復に向かい、2002年初めからの長期にわたる景気回復局面を迎えた。2005年になると消費者物価の下落は緩やかとなり、2006年に入ると前年比で上昇するようになった。このため日銀は3月9日の金融政策決定会合で量的金融緩和政策を解除し、無担保コールレートを概ねゼロ%で推移するよう促すという、純粋なゼロ金利政策に移行した。その後も景気回復が続き物価下落の圧力も低下したことから、[[7月14日]]の政策委員会・金融政策決定会合でゼロ金利政策の解除が全会一致で決定され、短期金利が実質的にゼロという状況は2001年3月以来、5年4ヶ月ぶりに解除された。
しかし、2006年8月のCPI基準改定により2005年を基準年とすると2006年1月・4月がマイナスだったことが明らかとなり、金利引き上げが時期尚早だったという批判もでた。


==関連項目==
==関連項目==

2008年12月21日 (日) 11:29時点における版

ゼロ金利政策(ぜろきんりせいさく)とは、金融政策の一つ。

概要

ゼロ金利政策は金利をほぼゼロにしてしまうのは経済における金利機能の低下をもたらし、流動性の罠をも招きかねないという考えがあった。ゼロ金利政策は国民や企業の金利所得が大幅に減る一方で、企業の評価損による累積債務を償還するのに大きく役立つとされる。

1998年、日本ではバブル崩壊後最悪の経済状況となる中で、大規模な財政政策が取った。金融政策においても緩和が求められることになり、1999年2月、日本銀行は短期金利の指標である無担保コール翌日物金利を史上最低の0.15%に誘導することが決定された。この時、当時の速水優日本銀行総裁が「ゼロでも良い」と発言したことからゼロ金利政策と呼ばれるようになった。2000年のITバブル景気を機に一時解除されるが、2001年のITバブル崩壊を機に事実上復活。2006年に景気回復を理由に再び解除となるが、2008年12月の世界金融危機と米国のゼロ金利導入を機に復活した。

スイスは2003年3月にターゲットレンジの下限をゼロと置いて事実上のゼロ金利政策を導入して2004年9月まで続けた。2008年12月に政策金利を再びゼロ金利政策を導入した。

アメリカは2008年12月にFRBFF金利の誘導目標を年0%~0.25%に設定し、事実上のゼロ金利政策を取った。これを受け、日本でも2008年12月19日に日銀が無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.1%に設定することを決定。いったんは解除したゼロ金利政策を再び実施する方向へと舵を切りなおした。

経済への影響

施行時

ゼロ金利政策を採用することは、中央銀行がこれ以上の金利を目標とした金融緩和ができなくなることを意味するため、金融政策が無力化する(流動性の罠)。このためさらに金融緩和する場合は貨幣量を目標とした量的緩和や将来の金融緩和を約束する政策などを採用することになる。

一方で、金利負担の低下が財政政策の発動や設備投資の容易さに結びつき、企業ベースでは総需要増大効果をもたらすが同時に国民や企業に対する利子所得を大幅に圧縮させ内需景気を悪化に導く諸刃の政策であった。とはいえ、重債務企業の存続が容易になるため、経済資源の再配分が低調になる。物価低下時においてはそもそも経済資源への需要が低下しているため、利益率の低い産業が経済資源の解放を迫られないため、金融面からの再配分低調化と符合する。

また資産価値における金利計算の意味合いが薄れるため、いったん資産価格上昇が起き始めると、信用取引などにより流動性が資産市場に流入するため資産市場が債券の価格が上昇し、低利で資金調達できるため活況を呈する方向へと進むが、余りにも金利が低すぎるために内需景気が悪化していれば低利であるにも関らず資金需要は増えず逆に企業倒産が増える原因ともなった。

なお、世界経済が堅調に推移すれば諸外国通貨との金利スプレッドが広がるため自国通貨安になりやすい。このため輸出が増えやすく、輸入が減りやすくなり、経常黒字・資本収支赤字が拡大し外需主導の経済成長がおきやすくなる。しかしながら、世界経済が一度減速に陥ると金利スプレッドの巻き戻しが起き強烈な自国通貨高を引き起こす。さらに悪い事に低金利が信用の高さを裏付ける形となり自国債券投資を内外共に加速させ、株価下落と共に大幅な景気後退を引き起こす。金利を低くしたにも関らず不況を加速させる逆の現象となる(2008)。

解除時

解除後は、上記の政策効果の逆転が起きる。

金融政策が実効性を取り戻すため、レバレッジ効果をかけた過剰投資や企業ベースでのインフレ期待発生を抑制できる。

金利負担の上昇により財政支出や設備投資への抑止効果が働き、総需要増大が抑制されるが同時に国民及び借り入れの少ない企業に対し金利所得が発生し内需景気を上昇させる効果が期待される。また海外投資に向けられた資金の一部が還流されることや債券価格の下落によって株式投資が活発化し株価にとってはプラスの効果を導く。しかしながら債務負担の増大により重債務企業が存続できなくなり、経済資源が解放される。そもそも、ゼロ金利政策の解除時は物価が上昇に向かっていると判断されているため、経済資源への需要は増大していると考えられ、政策と実体経済は符合する。物価が上昇に向かっていないにもかかわらず解除した場合は資金の硬直化が起こると考えられる。

諸外国通貨との金利スプレッド縮小への期待から自国通貨安が減速ないし自国通貨高への反転が起きやすくなるが債券価格は下落しているため国際社会において信用低下と判断されれば逆に通貨安となっていく。なお、これにより経常収支の黒字・資本収支の赤字が縮小する。これは、国内経済の拡大により内需が拡大しているため外需へ振り向ける余力が低下しているか内需への期待感から集中投資が行われているか内需外需がともに伸び悩んでいる状態かの三つのうちの一つが反映しているとされる。

各国の事例

日本

2000年の一時解除

1999年末には、アメリカのITバブルの波及で日本にも急速な景況改善が見えてきた。翌春にはITバブルは崩壊したが、しばらく日本経済の小康状態が続いたことなどから、2000年8月11日金融政策決定会合でゼロ金利政策は解除が決定された。

しかし、その後世界的な同時不況が訪れ、2000年末に景気後退が始まった。このため、早くも翌2001年2月末には政策金利である無担保コールレートは0.25%から0.15%に引き下げられ、3月には量的金融緩和が開始されて無担保コールレートは実質的にゼロに低下し、再びゼロ金利政策が始まった。

2000年8月の時点では、消費者物価は前年比で下落を続けており、政府は物価が持続的に下落するデフレが続いているとして、ゼロ金利政策の解除に反対する姿勢を見せた。しかし、日銀は物価の下落を良いデフレとして問題ではないとする立場をとった。

2001年以降の金融緩和の中で長期金利は低下を続け、2003年には0.43%にまで落ち込んだ。この0.43%という長期金利は世界史上最も低い利率とされる。

2006年の解除

米国経済がITバブル崩壊から立ち直ると日本の景気も回復に向かい、2002年初めからの長期にわたる景気回復局面を迎えた。2005年になると消費者物価の下落は緩やかとなり、2006年に入ると前年比で上昇するようになった。このため日銀は3月9日の金融政策決定会合で量的金融緩和政策を解除し、無担保コールレートを概ねゼロ%で推移するよう促すという、純粋なゼロ金利政策に移行した。その後も景気回復が続き物価下落の圧力も低下したことから、7月14日の政策委員会・金融政策決定会合でゼロ金利政策の解除が全会一致で決定され、短期金利が実質的にゼロという状況は2001年3月以来、5年4ヶ月ぶりに解除された。 しかし、2006年8月のCPI基準改定により2005年を基準年とすると2006年1月・4月がマイナスだったことが明らかとなり、金利引き上げが時期尚早だったという批判もでた。

関連項目