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「赤崎町」の版間の差分

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| 廃止日 = 1941年2月11日
| 廃止日 = 1941年2月11日
| 廃止理由 = 編入合併
| 廃止理由 = 編入合併
| 廃止詳細 = '''赤崎町''' → [[味野|味野町]]
| 廃止詳細 = '''赤崎町''' → [[味野地区|味野町]]
| 現在の自治体 = [[倉敷市]]
| 現在の自治体 = [[倉敷市]]
| よみがな = あかさきちょう
| よみがな = あかさきちょう
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*[[1889年]](明治22年)6月1日、[[町村制]]の施行により、[[児島郡]]赤崎村、菰池村が合併して村制施行し、'''赤崎村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』8頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 33 岡山県』64-65頁。</ref>。旧村名を継承した赤崎、菰池の2大字を編成{{R|角川}}。
*[[1889年]](明治22年)6月1日、[[町村制]]の施行により、[[児島郡]]赤崎村、菰池村が合併して村制施行し、'''赤崎村'''が発足<ref name=変遷>『市町村名変遷辞典』8頁。</ref><ref name=角川>『角川日本地名大辞典 33 岡山県』64-65頁。</ref>。旧村名を継承した赤崎、菰池の2大字を編成{{R|角川}}。
*[[1935年]](昭和10年)1月1日、町制施行し'''赤崎町'''となる{{R|変遷}}{{R|角川}}。
*[[1935年]](昭和10年)1月1日、町制施行し'''赤崎町'''となる{{R|変遷}}{{R|角川}}。
*[[1941年]](昭和16年)2月11日、児島郡'''[[味野|味野町]]'''に編入され廃止{{R|変遷}}{{R|角川}}。編入後、味野町大字赤崎・菰池となる{{R|角川}}。
*[[1941年]](昭和16年)2月11日、児島郡'''[[味野地区|味野町]]'''に編入され廃止{{R|変遷}}{{R|角川}}。編入後、味野町大字赤崎・菰池となる{{R|角川}}。


== 産業 ==
== 産業 ==

2024年4月15日 (月) 22:39時点における版

あかさきちょう
赤崎町
廃止日 1941年2月11日
廃止理由 編入合併
赤崎町味野町
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
児島郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,430
国勢調査、1940年)
隣接自治体 味野町、本荘村下津井町
赤崎町役場
所在地 岡山県児島郡赤崎町大字赤崎字札場
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赤崎町(あかさきちょう[1])は、岡山県児島郡にあった。現在の倉敷市の一部にあたる。

地理

児島半島の南西部に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、児島郡赤崎村、菰池村が合併して村制施行し、赤崎村が発足[1][2]。旧村名を継承した赤崎、菰池の2大字を編成[2]
  • 1935年(昭和10年)1月1日、町制施行し赤崎町となる[1][2]
  • 1941年(昭和16年)2月11日、児島郡味野町に編入され廃止[1][2]。編入後、味野町大字赤崎・菰池となる[2]

産業

  • 農業、製塩、学生服、綿織物、足袋、清酒[2]

交通

鉄道

教育

  • 1893年(明治26年)赤坂尋常小学校建設[2]

脚注

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』8頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』64-65頁。

参考文献

関連項目