源顕雅母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

源顕雅母(みなもとのあきまさのはは、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人右大臣源顕房の側室。藤原北家良門流・藤原兼輔の後裔で、信濃藤原伊綱の娘。兄弟に藤原伊季・藤原有忠・仁季(延暦寺)・慶幸がいた。

金葉和歌集』(二度本・歌番号589)に和歌が1首入集する勅撰歌人。篤子内親王堀河天皇中宮)に仕えた女官だったらしい。顕房の妻となって源信雅権大納言源顕雅東大寺権少僧都覚樹の母となった(但し、信雅の母については異説がある)。嘉承2年(1107年)9月21日、篤子内親王が出家したのと同じ日に出家した(『中右記』より)。