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浦上宗辰

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浦上宗辰
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文18年(1549年
死没 天正5年5月(1577年
別名 宗次、通称:松之丞→与次郎
氏族 浦上氏
父母 父:浦上宗景
兄弟 宗辰成宗
宇喜多直家
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浦上 宗辰(うらがみ むねとき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

略歴

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備前国戦国大名浦上宗景の嫡男として生まれる。家臣の宇喜多直家が離反し、後に和睦した際に、その娘を妻として娶った。

天正3年(1575年)、三村氏を滅ぼして宿願を果たしたが、その後、機嫌を伺いに岡山城へ赴いた際、天神山城に帰ったが、同日に死去。

舅・宇喜多直家による毒殺であった。

実在に関する疑問

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当時の文書などでは一切実在が確認できず、また遺されている墓に伝わる伝説や没年なども、近年の畑和良などの研究者によって否定されつつある、「1577年宗景追放説」に従って作られており、宗辰の存在が疑問視されている。