永井 直吉(ながい なおよし)は、江戸時代前期の摂津国高槻藩の世嗣。通称は左門。
徳川秀忠の御小姓、御書院番だった永井直清(のち摂津高槻藩主)の嫡男として誕生。母は高木正次の娘。正室は高木正綱の娘。
寛永12年(1635年)に3代将軍・徳川家光に拝謁するが、間もなく廃嫡された。代わって長男・直時が嫡子となり、父直清の家督を継いだ。
寛文9年(1669年)、53歳で没した。