橋津村
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はしづそん 橋津村 | |
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廃止日 | 1953年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 長瀬村、浅津村、橋津村、宇野村 → 羽合町 |
現在の自治体 | 東伯郡湯梨浜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 東伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,402人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 宇野村、浅津村、長瀬村 |
橋津村役場 | |
所在地 | 鳥取県東伯郡橋津村 |
座標 | 北緯35度30分11秒 東経133度52分34秒 / 北緯35.503147度 東経133.8762度座標: 北緯35度30分11秒 東経133度52分34秒 / 北緯35.503147度 東経133.8762度 |
ウィキプロジェクト |
橋津村(はしづそん[1])は、鳥取県東伯郡にあった村。現在の東伯郡湯梨浜町の一部にあたる。
地理
[編集]橋津川の河口に位置し、北は日本海に面していた[2]。馬の山西側の山すそに帯状の集落を形成していた[2]。
歴史
[編集]- 1884年(明治17年)8月1日、橋津郵便局(5等)開設[2][3]。1897年(明治30年)3月26日、橋津郵便電信局(3等)となり電報取扱を開始[2][3]。1903年(明治36年)4月1日、橋津郵便局(3等)となり[3]、1921年(大正10年)電話通話開始[2]。
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、河村郡上橋津村、橋津村、宇野村、赤池村が合併して村制施行し、橋津村が発足[1][2]。旧村名を継承した上橋津、橋津、宇野、赤池の4大字を編成[2]。
- 1891年(明治24年)10月23日、大字宇野が分立し宇野村が発足[1][2]。3大字となる[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]。
- 1905年(明治38年)橋津大火で民家63戸、浜倉8棟が焼失[2]。
- 1953年(昭和28年)4月1日、東伯郡長瀬村、浅津村、宇野村と合併し、町制施行し羽合町を新設して廃止された[1][2]。合併後、羽合町大字上橋津・橋津・赤池となる[2]。
産業
[編集]- 漁業、農業、運輸業[2]
- 海運業が盛んであったが、1919年(大正8年)橋津港からの輸出が途絶えた[2]。
- 1894年(明治27年)金融・倉庫業の奨恵合資会社設立[2]。1912年(明治45年)奨恵銀行に改組し、倉庫部が1919年に社団法人奨恵社農業倉庫となる[2]。
交通
[編集]乗合バス
[編集]港湾
[編集]- 橋津港[2]。
教育
[編集]名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 山口修監修『全国郵便局沿革録 明治篇』日本郵趣出版、1980年。