楊醜

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楊 醜(よう しゅう)は、中国後漢時代末期の人物。張楊配下の武将。

曹操呂布が敵対し、主君の張楊が呂布に味方しようとした時、楊醜は張楊を殺害して曹操に与した。

後に楊醜もまた、張楊旧臣の眭固によって殺害された[1]

脚注[編集]

  1. ^ 資治通鑑』第62巻 漢紀54、及び『三国志』魏書 武帝紀より。前者ではこれを建安3年(198年)11月、後者では建安4年(199年)の出来事とする。