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柳谷登山鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柳谷登山鉄道(やなぎだにとざんてつどう)は、現在の長岡京市の柳谷観音(楊谷寺)付近に設置が計画された鋼索鉄道未成線)である。

路線データ(計画時)

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  • 路線距離:旧海印寺村金ヶ原付近 - 同村浄土谷付近 1.3km[1]
  • 軌間:1067mm

接続路線(予定)

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ただし、新京阪と柳谷登山鉄道の駅間距離は約900m。[1]

なお、この路線とは別に、向日町 - 楊谷寺間に同じような路線が計画され、長法寺校前には測量杭がずっと打ってあったという。また、楊谷寺の阿弥陀堂には、柳谷参道電灯線路工事有志連名の奉納額が現在も残されている。[要出典]

歴史

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  • 1922年(大正11年)12月20日 鉄道敷設免許取得[2]
  • 1924年(大正13年)
    • 12月 柳谷登山鉄道株式会社を設立。井上英次郎[3]が取締役社長に就く[4]
    • 7月 楊谷寺の住職が発起人脱退[5]
    • 8月 路線の測量許可を申請
  • 1935年(昭和10年)5月21日 免許失効(工事施行認可申請期限切れ)[6]

脚注

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  1. ^ a b c 若林正博「京阪六地蔵線と新京阪洛西線-昭和初期の京都近郊の鉄道計画-」『資料館紀要』(京都府立総合資料館)第45号、2016年、2-74頁。
  2. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年12月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『人事興信録. 7版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「発起人脱退届」『柳谷登山鉄道・大正十二年』25頁(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  6. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1935年5月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)