松前ピリカ
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。(2013年6月) |
松前 ピリカ(まつまえ ピリカ、1913年 - 1976年)は、北海道平取町出身の民謡歌手。本名、平村花子。 ピリカ(pirka)はアイヌ語で「美しい」「良い」という意味。
平取小学校を卒業後、17歳で芸能の道を志し、旅芸人の一座に参加し、ピリカ花子と名乗った。20歳から松前ピリカを名乗った。美声で知られ、「松前ピリカ一座」を主宰し数十名の団員を引き連れ、各地を巡業し、一世を風靡した。また、津山洋子・高樹一郎らの後輩を養成した。漫才師の東けんじが在籍していたこともある。
ふるさとのための慈善活動をしたことも知られ、彼女およびその他の村民の寄付により、戦前は消防車や「平取号」という名前の飛行機などが寄贈され、戦後は義経公園内の千本桜などを植樹したことが知られる[1]。
平取町内の義経公園内に顕彰碑がある。
脚注[編集]
- ^ 義経公園内の顕彰碑による。
参考文献[編集]
![]() |
- 川嶋康男『聞きがたり 北の大衆芸』みやま書房、1980年
- 川嶋康男『北の昭和放浪芸』太陽、1979年