1964年東京オリンピックの開会式

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左から順にフィンランド・東西統一ドイツ・イギリスの選手団

1964年東京オリンピックの開会式(1964ねんとうきょうオリンピックのかいかいしき、1964 Summer Olympics Opening Ceremony)は、東京オリンピック大会初日の1964年(昭和39年)10月10日土曜日国立競技場で行われた開会式。前日(10月9日)は台風の接近により雨が降ったが、当日は抜けるような青空の秋晴れになった。

開会式は昭和天皇香淳皇后を始め、当時の皇太子明仁親王・皇太子妃美智子夫妻(現在の今上天皇皇后美智子)、成婚後10日と間もない常陸宮正仁親王常陸宮妃華子夫妻などの皇族が臨席し、病気静養中であった当時の池田勇人内閣総理大臣[注 1]河野一郎オリンピック担当大臣など第3次池田改造内閣の各閣僚、船田中衆議院議長重宗雄三参議院議長、及びアベリー・ブランデージ国際オリンピック委員会 (IOC) 会長を始めIOC委員及び各国の来賓らが出席して挙行された。参加94か国、7,060人の選手団が入場行進をした[1]

概要[編集]

開会式は以下の順序で行われた。

「オリンピック・マーチ」の演奏にのせて、防衛大学校学生が国名のプラカード[注 3]を持って先導しつつ各国選手団が入場した[注 4]

オリンピック発祥の地であるギリシャを先頭に英語のアルファベット順に入場し、キューバは日本の国旗である日の丸の小旗を振り、1952年のヘルシンキ大会以降しばらく組織された東西合同のドイツ選手団が、行進曲「海を超える握手」に合わせて合同行進した[注 5]。また、冷戦下で東西対立の厳しい国際情勢にありながら、頭文字が同じアルファベット「U」のため、アメリカ合衆国 (USA) に続いてソビエト連邦 (USSR) が入場行進を行った[注 6]。「オリンピック・マーチ」は最初のギリシャから演奏され、途中は世界的に認知された行進曲のメドレーになり、順番の最後に近づいた米ソ各選手団が入場した時は再び「オリンピック・マーチ」に戻って、最後の開催国の日本選手団の入場が終了するまで演奏された[注 7]

昭和天皇は、ギリシャ選手団の入場から日本選手団の入場まで終始起立しこれを迎えた。また一般客や招待された各国の外交団は、日本選手団入場の際に開催国の選手団に敬意を表するために全員起立し選手団を迎えた。最後に入場した日本選手団が行進を終了し、これをもって全参加国の選手団が場内に整列した。

待望久しい第18回オリンピック競技大会が本日より15日間にわたり、開催されることになりましたことは誠に喜ばしい限りであります。あたかも本年は近代オリンピック復興70周年に当たりますのでこれを記念し皆様と共に近代オリンピックの父、クーベルタン男爵のありし日の声を傾聴して氏の偉業を追想したいと存じます。・・(ここでピエール・ド・クーベルタン男爵のメッセージを録音したテープが流れる)・・オリンピック東京大会はアジアで開催される初めての大会でありますが、幸いこれまでにない多数の選手団の参加をみましたことは誠にご同慶にたえない次第であります。願わくはオリンピック精神に則り、正々堂々たる競技が展開されることを期待してやみません。最後にここにおられる国際オリンピック委員会のアベリー・ブランデージ会長から天皇陛下に第18回オリンピック競技大会の開会宣言を賜りますようお願いしていただきたく、ご依頼申し上げます。
ワタクシハ 1896ネン ピエール・ド・クーベルタン ダンシャク ニ ヨッテフッカツサレタ キンダイオリンピック ノ ダイ18カイ キョウギタイカイ ノ カイカイセンゲン ヲ ココニツツシンデ テンノウヘイカ ニ オネガイモウシアゲマス

(私は1896年ピエール・ド・クーベルタン男爵によって復活された近代オリンピックの第18回競技大会の開会宣言をここに謹んで天皇陛下にお願い申し上げます。)
第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します。
  • ファンファーレ(作曲:今井光也)演奏[注 8]
  • オリンピック賛歌[注 9](作曲:スピロ・サマラ、訳詞:野上彰)合唱。
  • 五輪旗の掲揚[注 10]。旗は競技場内を半周して、織田ポール[注 11]に掲揚する。3発の祝砲が鳴る。
  • オリンピック旗の引継ぎ。前回開催地のローマのあるイタリアの若者がオリンピック旗を持って小学生の鼓笛隊とともに入場。中央にある式台の前にてローマ市長に渡されて、式台上で市長からブランデージ会長へ、そしてブランデージ会長から東龍太郎東京都知事に渡される[注 12]
  • オリンピックカラーの風船が多数空へ放たれる。小学生の鼓笛隊が退場。
  • 聖火の入場。最終ランナー(坂井義則)がトーチを掲げながら入場[注 13]し、トラックを半周した後にスタジアムの階段[注 14]を駆け上がり、聖火台横にトーチをかざして立ち、聖火台に点火。燃え上がると同時に火炎太鼓の演奏。
  • 「東京オリンピック賛歌」[注 15]合唱。(作詞:佐藤春夫、作曲:清水脩
  • 各国選手団の旗手が国旗を掲げながら式台前に整列。
  • 選手宣誓日本選手団小野喬主将が行う。
宣誓。私は全ての競技者の名に於いて、オリンピック競技大会の規約を尊重し、スポーツの栄光とチームの名誉のため、真のスポーツマン精神を持って、大会に参加することを誓います。選手代表 小野喬。

聖火の最終ランナーについて[編集]

聖火の最終ランナーが坂井義則に選出された理由は広島への原爆投下の日1945年(昭和20年)8月6日広島県三次市で生まれ、陸上競技選手であり、その平和の象徴として選出された。

オリンピック・リポーターとして新聞特派員記者を担当した作家の三島由紀夫は、聖火台に向う坂井選手を「日本の青春の簡素なさはやかさ」が結晶した姿と表現し、以下のようにレポートした[5]

彼の肢体には、権力ほてい腹や、金権はげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みづみづしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によつて代表されたのだつた。(中略)坂井君はの階段を昇りきり、聖火台のかたはらに立つて、聖火の右手を高く掲げた。その時の彼の表情には、人間がすべての人間の上に立たなければならぬときに、仕方なしに浮べる微笑が浮んでゐるやうに思はれた。そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもつと高いのだ。(中略)

彼が右手に聖火を高くかかげたとき、その白煙に巻かれた胸の日の丸は、おそらくだれの目にもしみたと思ふが、かういふ感情は誇張せずに、そのままそつとしておけばいいことだ。日の丸のその色と形が、なにかある特別な瞬間に、われわれのになにかを呼びさましても、それについて叫びだしたり、演説したりする必要はなにもない。

— 三島由紀夫東洋西洋を結ぶ火――開会式」[5]

テレビ・ラジオ中継[編集]

この開会式の模様は日本ではNHKをはじめとするテレビ・ラジオ各局で生中継された。2インチVTRにカラー映像で録画された開会式の模様が、NHKアーカイブスに保存されている。

テレビ局 番組名 放送時間 実況 ゲスト
NHK総合テレビ 『オリンピック東京大会開会式』 午後1:45 - 3:45 北出清五郎
日本テレビ 『オリンピック東京大会開会式中継』 午後1:00 - 4:30 金原二郎 川本信正
TBS 『オリンピック実況中継 東京大会開会式』 午後1:00 - 4:00 吉川久夫 西川辰美
フジテレビ 『オリンピック特別中継 開会式実況』 午後1:30 - 4:00 小篠菊雄 木下惠介
NETテレビ
(現:テレビ朝日
『この日 世界はひとつ 世紀の祭典開く』 午後0:47 - 4:00 平井 古賀政男

また通信衛星シンコム3号を利用して全世界に衛星生中継(この当時は「宇宙中継」と呼ばれた)され、アメリカではNBC、イギリスではBBCで放送された。これは五輪史上初の同時中継であった。

テレビ実況を担当したNHKの北出清五郎アナウンサーは冒頭で、

世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます。

と述べ、またラジオ実況を担当した鈴木文彌アナウンサーは、式典の最初のオリンピック序曲の演奏が始まると、

東から西から、南から北から、海を越えて、空を飛んで、世界の若人が、世界のスポーツマンが、東京に集まって来ました。

と述べた。なお、市川崑監督の記録映画で開会式の場面に流れる音声は、ラジオ実況を担当した鈴木文彌アナウンサーの声であるが、これは当日実況したものではなく映画用にあとで録音したものである。

その他[編集]

  • 開会式前日の東京は台風の影響で雨天であり、また前日に気象庁が発表した開会式当日の天気予報は「晴れ時々曇り」だった。しかし実際に開会式当日になると東京の空からは雲がほとんどなくなり快晴となった。
  • 開会式当日が荒天の場合については「(1) よほどの荒天でない限りは開会式を決行する」「(2) 荒天で開会式を挙行出来ない場合は中止とし、延期はしない」「(3) 開会式が中止となった場合、チケットは後日払い戻しをする」「(4) 中止するかどうかは当日の朝7時に決定する」と決まっていた。
  • 開会式当日、国立競技場のゲートではチケットを持たない者の入場を防ぐためのチェックが極めて厳しく実施されたが、膝の上に乗せられる程度の乳幼児に限っては大人1名に対して乳幼児1名までチケットが無くても入場を認めた。
  • 入場時のゲートでは入場者に対して場内を汚さない為にゴミ袋や吸殻入れを無料で配布された。
  • 開会式会場の国立競技場に隣接する神宮外苑も開会式当日は一般に開放され、こちらには約4万人もの人々がつめかけた。ここには開会式で入場行進を待つ各国選手団が待機して、競技場に入る前に整列して道路をゆっくり行進していた。この模様を撮影した映像も残っており、BS放送でも2009年に放送された。なおこの日の神宮外苑会場もチケット制で、チケットの無い者は神宮外苑へは入れなかった。
  • 膨大な観客を集中させないために「御茶ノ水駅方面から電車で来る人達は信濃町駅で下車」「新宿駅方面から来る人達は千駄ヶ谷駅で下車」を実施させて混雑を分散化させた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 池田首相はこの時、喉頭ガンで入院していたが、この開会式には病苦をおして列席した。そして14日後閉会式を病室のテレビ放送で視聴した翌日に首相辞任を発表した。
  2. ^ これは黛敏郎が中心になって日本各地の寺の鐘の音を録音してそれに電子音を加えて、NHKスタジオで作曲されたもの。雅楽のような雰囲気を醸し出していた。
  3. ^ 横に二段になっており上段は英語表示、下段は日本語表示であった。
  4. ^ 国立競技場の北ゲートより入場。この当時は入場行進前のアトラクションは無かった。
  5. ^ 東西ドイツの合同選手団はヘルシンキ大会メルボルン大会ローマ大会と続けてきたがこの東京大会が最後となった。
  6. ^ それまでは米国は「America」として早い順番で行進していたが、東京大会では正式な国名「United States of America」の略称「USA」を、ソ連は英語表記の「Union of Soviet Socialist Republics」の略称「USSR」を使った。
  7. ^ このマーチは1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式で再度使用されている。
  8. ^ 聖火台下で陸上自衛隊音楽隊が演奏する。
  9. ^ 1896年第1回アテネ大会でギリシャのサマラが作曲した曲で、その後忘れられていた曲だが、1958年に東京で開催されたIOC総会で日本側が演奏して、IOC委員に深い印象を与えて、以後五輪の開会式と閉会式には五輪旗の掲揚と降納にあわせて演奏されることとなった。
  10. ^ 競技場南ゲートより海上自衛隊員が行う。この当時は現在のように元メダリストが行う慣習は無かった。
  11. ^ 日本初の金メダリストの織田幹雄を記念して、その時の三段跳びの記録15メートル21センチの高さのポールが競技場フィールド内に1958年に設置された。
  12. ^ この当時、開催都市に順番に引き継がれるオリンピック旗は開会式でその開催都市に渡されて、次の回まで東京が持って、次のメキシコ五輪開会式で美濃部都知事がメキシコシティに引き渡している。現在のように閉会式で次回開催都市に引き渡すことになったのは1984年のロサンゼルス五輪からである。
  13. ^ 競技場北ゲートより入場。
  14. ^ 階段の段数については、文献によって163や182など複数の説がある。坂井自身は167段と聞かされていた(小沢剛「心の聖地 スポーツ、あの日から」四国新聞2010年5月11日、20面)。
  15. ^ サマラ作曲の「オリンピック賛歌」ではなく、東京オリンピックの時だけに作曲された賛歌。開会式に使われる賛歌Aと閉会式に使われる賛歌Bの2曲がある。
  16. ^ 日本鳩レース協会の山本雅嗣らが2年がかりで会員から集めた8000羽のカワラバト)が空へ放鳥される[3]
  17. ^ 開会式冒頭は演奏のみで、最後は斉唱であった。
  18. ^ 1年半を海の上で訓練したブルーインパルスF-86が貴賓席から見えるよう、スタジアム上空3000メートルに五色のスモークで直径1800メートル各五輪の間隔300メートルで五輪マークを描く。このスモークはリハーサルでは成功したことがなく、ぶっつけ本番での成功だったという。

出典[編集]

  1. ^ NHKラジオ鈴木文彌アナウンサーの実況録音から。朝日ソノラマ 1964年11月発行
  2. ^ 週刊サンケイ臨時増刊「東京オリンピック1964」1964年11月15日号 産経新聞社発行 22P参照
  3. ^ “【カウントダウン五輪決定】開会式でハトを飛ばした山本雅嗣さん「また皆が一つに」”. msn産経ニュース (産経新聞). (2013年9月6日). オリジナルの2013年9月6日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130906232927/http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130906/oth13090622020033-n1.htm 2015年3月20日閲覧。 
  4. ^ 生涯最高のフライト=開会式で五輪描く-「次は下から見たい」・元空自パイロット 時事通信 2013年9月6日閲覧
  5. ^ a b 三島由紀夫「東洋と西洋を結ぶ火――開会式」(毎日新聞 1964年10月11日号)。33巻 2003, pp. 171-174

参考文献[編集]

  • 『決定版 三島由紀夫全集33巻 評論8』 新潮社、2003年8月。ISBN 978-4106425738 

関連項目[編集]