村井長道

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村井 長道 (むらい ながただ、寛政9年(1797年) - 天保7年5月10日1836年6月23日)) は、加賀藩年寄。加賀八家村井家第9代当主。能楽研究家でもあった。

父は村井長世。養子は村井長貞通称は又六、靫負、又兵衛。初名は長恵。号は浩翁、浩斎、浩然道者、無間子。本姓は平氏(桓武平氏)。家紋は「丸ノ内上羽蝶」。

生涯[編集]

加賀藩年寄村井長世の子として生まれる。文化13年(1816年)、藩主前田斉広に初めて出仕し、新知2500石を与えられる。文政11年(1828年)、長世の死去により家督と1万6000石の知行を相続する。年寄として藩主前田斉泰に仕え、藩政を主導した。

天保7年(1836年)5月10日没。享年41。家督は加賀藩年寄奥村質直の子長貞が養子となって相続した。

人物[編集]

能楽謡曲に造詣が深く、世間の能楽愛好者が「謡曲八拍子」のような古書のみを尊重することに不満を持ち、能に使う仮面や装束の研究に没頭した。著作として、天保元年(1830年)「能面法則」「仮面集録」、天保2年(1831年)「面名集」「謡曲私言」、天保3年(1832年)「能面鑑定大概」がある。また、佐久間寛台の謡曲の注釈書「謡言粗志」の訂補を、河合良温、渋谷重武、勝木元直に命じた。

参考文献[編集]