村井長次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
村井長次

村井 長次(むらいながつぐ、永禄11年(1568年) - 慶長18年11月7日1613年12月18日))は、戦国時代武将前田氏の家臣。本姓は平氏(桓武平氏)。家紋は「丸ノ内上羽蝶」。

出自[編集]

村井家家祖で父の村井長頼前田利家尾張時代に家臣になった。長頼は利家が織田氏を辞したときにも従い、利家より「又左衛門」から「又」の字をもらうほどであった。芳春院(まつ)の江戸人質の際にはこれに従って江戸に下りその地で没しており、村井家は前田家から信頼され前田八家の一つとして家老職を務めた。村井家石高は16,500石余で、家紋は丸に揚羽蝶。歴代墓地は野田山。

経歴[編集]

長次は長頼の嫡男として生まれる。慶長10年(1605年)、細川忠隆と離縁した前田千世を正室として村井家に迎え入れた[1]

千世との間には実子はなく、村井家では長光織田有楽斎嫡男長孝の次男)、女子(前田利政女)、女子(脇田兵部女)、女子(村井理斉(長頼弟)女)の養子女をとり、長次死後は長光(長家、兵庫もしくは飛騨とも言う)が家督を継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 岩沢愿彦 『前田利家』 (新装版) 吉川弘文館、1988年、341頁。