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李 囂(り きょう、生年不詳 - 632年)は、中国の唐の太宗李世民の十一男で母は燕妃[1]。
貞観5年(631年)、江王に立てられた。貞観6年(632年)、世を去った。諡は殤。後嗣がなく、封国は除かれた[2] [3]。
- ^ 『新唐書』「燕妃生貞,又生第十一子囂」
- ^ 『新唐書』「江殤王囂,封之明年薨,無後。」
- ^ なお、後に中宗の時期になって、李恪の孫の李禕(中国語版)が江王に封じられる際に李囂の後と記されている。『新唐書』「禕少有志尚,事繼母謹,撫異母弟祗,以友稱。當襲封,固讓祗,中宗嘉其意,特封嗣江王,以繼囂後。」