本多忠胤
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 天保元年(1830年) |
死没 | 明治40年(1907年) |
藩 | 三河岡崎藩世嗣 |
氏族 | 本多氏(平八郎家) |
父母 | 本多忠考 |
兄弟 |
忠胤、水野忠誠、稲垣太清、 本多忠民正室、秀、栄子ら |
妻 | 里子 |
子 | 忠敬、敏樹 |
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本多 忠胤(ほんだ ただたね)は、江戸時代後期の三河国岡崎藩の世嗣。
4代藩主・本多忠考の長男として誕生。妻は里子。子は本多忠敬(長男)、本多敏樹。
岡崎藩嫡子だったが、病弱を理由に廃嫡された。代わって、讃岐国高松藩から忠民が養子に迎えられ嫡子となった。
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