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木阪ユク

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木阪 ユク(きさか ゆく、1889年明治22年)2月1日[1] - 1985年昭和60年)11月22日)は、日本の女医。

広島女医界の草分けとして知られる[1]キリスト教徒であった木阪ユクは、信仰に基づく倫理観と奉仕の精神を持って医療活動を行い、生涯を医療の発展に捧げた。

経歴[編集]

広島県賀茂郡西高屋村(現・東広島市高屋町)出身。豪農・富岡家の四女として生まれる。1908年、東京女医学校(現・東京女子医科大学)を卒業。1910年、静岡市の多々良病院で産婦人科医として働く。1912年に西高屋村に帰り、産婦人科医院を開業[1]。彼女の開いた木阪産婦人科医院は、木阪病院[2]として現在も受け継がれている。

1912年、木阪次郎と結婚。その間に四子を生むが、1931年に先立たれた[1]

功績[編集]

地域住民の健康保持に尽力し、西条小学校の校医として50年間、児童の健康管理と保健指導に貢献した。1982年(昭和57年)7月17日に顕彰され、東広島市名誉市民として称えられた[3]

家系・親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『山陽路の女たち』ドメス出版、1985年、p.159-161
  2. ^ 医療法人社団 博愛会 | 東広島市西条にある医療法人”. 2024年5月26日閲覧。
  3. ^ 東広島市名誉市民|東広島市ホームページ”. www.city.higashihiroshima.lg.jp. 2024年5月26日閲覧。

関連書籍[編集]

  • 北西英子『山陽路の女たち』(広島女性史研究会編著、ドメス出版、1985年)
  • 三﨑裕子『明治女医の基礎資料』日本医史学雑誌 第54巻第3号(2008)281–29