月岡朝太郎

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月岡 朝太郎(つきおか あさたろう、1911年3月 - 1984年)は、日本自転車競技選手、指導者[1]

経歴[編集]

長野県下水内郡岡山村、後の飯山市に生まれ、1928年に上京し、以降、様々な職業を転々とする[1]1937年、当時の日本自転車競技連盟関東支部が主催した第1回関東自転車断郊競走の実用車部門に出場したのをきっかけに自転車競技に取り組み、1940年に予定されていた東京オリンピックの候補選手になった[1]

戦後、1947年に雑誌『自転車』を創刊、1950年日刊プロスポーツ新聞社を創設して初代社長となった[2]。また、1951年に東京都自転車競技連盟を創立して理事長となった[3]

日本アマチュア自転車競技連盟(日本自転車競技連盟の前身のひとつ)専務、副会長などを務め、海外に派遣される日本選手団の団長をしばしば務めた[1][4]

1978年には、日刊プロスポーツ新聞社社長職を息子に譲り、会長となった[2]

おもな著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 信濃毎日新聞社 編 「必ずよい時がくる 月岡朝太郎」『百人百話』 信濃毎日新聞社、1972年2月20日、317-320頁。
  2. ^ a b 沿革 History”. 日刊プロスポーツ新聞社. 2015年12月10日閲覧。
  3. ^ 歴史 ☆自転車部の始まり☆”. 台東区自転車連盟 (2009年12月17日). 2015年12月10日閲覧。
  4. ^ 例えば、1966年7月に日本男子自転車選手団が訪中した際に、団長を務めている。:日中文化交流協会のあゆみ 1966年

外部リンク[編集]