早乙女家貞

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早乙女 家貞(そうとめ いえさだ、生没年不詳)は、江戸時代前期から中期にかけての装剣金工家[1][2]甲冑師の一族として名高い明珍家から別れた早乙女家の4代目で早乙女家成の子と伝わる[1][2]

経歴・人物[編集]

常陸国下妻石岡に、のち相模国小田原に住んだ[1][2]。早乙女家の名工の一人で、明寿政徳と共に三名工と称された[1][2]。時代の下った同名の金工が数人おり、家貞の名は各代に及ぶと見做されている[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『早乙女家貞』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『早乙女家貞』 - コトバンク