承教寺

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承教寺
仁王門
所在地 東京都港区高輪2-8-2
位置 北緯35度38分11.7秒 東経139度44分4.51秒 / 北緯35.636583度 東経139.7345861度 / 35.636583; 139.7345861
山号 長祐山
宗派 日蓮宗
本尊 曼荼羅、釈迦如来図
創建年 正安元年(1299年
開基 日円
文化財 英一蝶墓(都旧跡)
英一蝶筆釈迦如来像(寺宝)
法人番号 9010405001352 ウィキデータを編集
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承教寺(じょうきょうじ)は東京都港区高輪に所在する日蓮宗の寺院。山号は長祐山。日蓮宗の信者であった英一蝶ゆかりの寺院である。本尊は曼荼羅、英一蝶筆の釈迦如来像。旧本山は大本山池上本門寺。池上芳師法縁。

沿革[編集]

一乗院日円により正安元年(1299年)に開かれた。当初は西久保(現在の港区虎ノ門)にあったが、江戸時代初めの承応2年(1653年)3月に現在の地に移転した。池上本門寺の末寺となる。江戸時代中期の延享2年(1745年)の大火に巻き込まれたとき、山門、仁王門、鐘楼は焼失を逃れ現存する。類焼した本堂は天明元年(1781年)に再建されたものである。

明治初期より明治37年(1904年立正大学の前身である大檀林が当寺院に置かれた。

現在までに3名が当寺院の住職より大本山である池上本門寺貫首となっている。

第55代内閣総理大臣石橋湛山の母親の実家である石橋家は承教寺の檀家だった。

施設[編集]

  • 英一蝶の墓:本堂脇にある。東京都指定旧跡[1][注釈 1]。廃院になった塔頭の顕乗院 (けんじょういん) から改葬された[2]
  • 二本榎の碑:山門脇にある。

旧末寺[編集]

日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

参考文献[編集]

  • 東京都教育委員会. "現地説明板" (Document). 東京都. - 平成20年12月設置 (2008年)
  • 東京都教育庁地域教育支援部. "白金高輪を歩いてみませんか" (Document). 東京都. pp. 5, iv. - 2018年11月3日
  • 東京都教育庁地域教育支援部. “英一蝶墓”. 東京都. 2018年11月3日閲覧。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 墓標は安政の大地震で破損し、明治6年 (1873年) 六世孫の英一蜻が復刻[2]昭和13年 (1938年) 2月5日仮指定[2]の標識設置。昭和18年 (1943年) 5月指定[3]。昭和27年 (1952年) 4月1日史跡指定[1]。昭和30年 (1955年) 3月28日旧跡指定[1][2]

出典[編集]

関連資料[編集]

  • 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 (編)『日蓮宗寺院大鑑』宗祖第七百遠忌記念出版、大本山池上本門寺、東京、1981年1月。 NCID BN01669639 
  • 木更津市史編集委員会『木更津市史』木更津市、1972年。 NCID BN0346881X 

関連項目[編集]

  • 光明寺 本堂は承教寺客殿を移築したもの。