戸沢道盛
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戸沢 道盛(とざわ みちもり、1524年(大永4年)[1] - 1604年8月10日(慶長9年7月15日)[2])は出羽の戦国大名。戸沢氏第16代当主[1]。子に戸沢盛重、戸沢盛安、戸沢光盛[1]。孫に戸沢政盛。通称は平九郎[1]。官職は飛騨守[1]。母は楢岡(小笠原)左馬介長祐の娘[1]。妻は本堂親条娘。
生涯
父戸沢秀盛の死により、享禄2年(1529年)にわずか6歳の若さで家督を相続する[1]。だが、叔父の戸沢忠盛(兄である秀盛から後継者に指名されたが、秀盛の晩年に道盛が生まれたために約束が反故にされた)が反乱を起こしたため、道盛は母と共に一時角館城を追放された。だが重臣達が道盛を支持して逆に忠盛を追放したため、無事に角館城に復帰した。
その後、若いうちに隠居し、移封地の常陸国にて79歳まで戸沢氏四代にわたって後見した、という説と、隠居したころに病死している、という説がある[注釈 1]。
脚注
注釈
- ^ 阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P544では慶長9年(1604年)7月、孫の政盛の移封先である常陸小河城で死去とある。また、『最上郡史料叢書』「戸沢年譜」では天正6年(1578年)8月12日に53歳で死去したとする異説も掲載されている。
引用元
参考文献
- 阿部猛 編『戦国人名事典コンパクト版』西村圭子、新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9。