惟宗義賢
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惟宗 義賢(これむね の よしかた、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。姓は朝臣。官位は正五位下・掃部頭。
経歴
[編集]摂関家の藤原頼通の家司(のち政所別当)を務める一方、後一条朝の寛仁3年(1019年)ごろ右少史を務め、右大史を経て、長元2年(1029年)左大史に任ぜられ、小槻貞行とともに大夫史に並ぶ。義賢は惟宗氏として初めて大夫史となり、以降鳥羽院政期半ばまでの100年以上に亘って、惟宗氏は小槻氏と並んで代々大夫史を務めることになる。長元6年(1033年)ごろに貞行が大夫史を去った後、義賢は10年以上に亘って単独で大夫史を占め、掃部頭や伊賀守・周防権介も兼ねた。
後冷泉朝初頭の寛徳2年(1045年)子息の実長を西市佑に任官させる代わりに周防権介を辞し、以降史料に現れないこと、翌永承元年(1046年)小槻孝信が大夫史に任ぜられていることから、このころ義賢は大夫史を去ったか。
官歴
[編集]- 時期不詳:正六位上
- 寛仁3年(1019年) 正月5日:見正六位上右少史[1]
- 時期不詳:従五位下
- 長元2年(1029年) 閏2月11日:見右大史[2]。8月23日:見左大史[3]
- 時期不詳:正五位下
- 長暦元年(1037年) 12月29日:見正五位下行左大史兼伊賀守[4]
- 寛徳2年(1045年) 5月18日:見掃部頭兼左大史周防□□[5]。秋:辞周防権介(子息実長申任西市佑)[6]