徳永春夫

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徳永 春夫(とくなが はるお、1921年[1] - )は、日本教育者

来歴[編集]

熊本県玉名郡石貫村(現・玉名市)に、石貫村村長も務めた徳永右馬七の三男として生まれる[2]。徳永右馬七は旧制第五高等学校で嘱託教員を務めたことがあり、当時同僚だった夏目漱石とも親交を結んでいた[2]

熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1938年卒業)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。卒業後は、海軍兵学校の文部教官となった。

終戦後、母校の玉名高等学校教諭に就いたのち、熊本県立牛深高等学校では教頭・指導主事・主幹、熊本県立大津高等学校熊本県立八代高等学校(1971年 - 1974年)[3]熊本県立熊本西高等学校熊本国府高等学校(1980年 - 1989年)[4]では校長を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ 徳永家の歴史 : 肥後国玉名郡石貫村 - 国立国会図書館サーチ
  2. ^ a b 原武哲「夏目漱石と徳永臘枝」(PDF)『敍説 : 文学批評』第4号、敍説舎、1994年1月6日、88-95頁。 
  3. ^ 沿革と歴史 - 熊本県立八代高等学校(「歴代校長」の箇所を参照)2023年8月11日閲覧。
  4. ^ 熊本国府高等学校の沿革 - 熊本国府高等学校