徳川匡時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
徳川匡時
時代 江戸時代後期
生誕 文化2年閏8月13日1805年10月5日
死没 天保10年10月12日1839年11月17日
氏族 田安徳川家
父母 徳川斉匡
閑院宮美仁親王第一王女・貞子女王
兄弟 匡時斉位慶壽松平慶永慶頼
慶臧、近姫、鑅姫、鋭姫、猶姫、鐐姫
欽姫、猗姫、愛姫、千重姫、純姫、筆姫ら10男19女
テンプレートを表示

徳川 匡時(とくがわ まさとき)は、江戸時代後期の田安徳川家の世嗣。

略歴[編集]

3代当主・徳川斉匡の次男として誕生。母は斉匡の正室・裕宮貞子女王(1787-1825、閑院宮美仁親王第一王女)。

田安徳川家の嫡子であったが、父・斉匡は兄で11代将軍・徳川家斉の子である斉荘を養子に迎える。このため、匡時は病弱を理由に天保7年(1836年)8月、廃嫡された。天保10年(1839年)、35歳で没した。