建部光平

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建部光平
時代 江戸時代中期
生誕 安永3年(1774年
死没 寛政3年7月23日1791年8月22日
別名 久五郎・織部・訢次郎・新二郎(通称
戒名 戒順院本覺玄理
播磨林田藩世嗣
氏族 建部氏
父母 父:建部政賢、母:不詳
兄弟 光平政醇政儀、八重、松平康任養女ら
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建部 光平(たけべ みつひら)は、江戸時代中期の播磨国林田藩の世嗣。通称は久五郎・織部・訢次郎・新二郎。

略歴[編集]

安永3年(1774年)、第7代藩主・建部政賢の長男として林田にて誕生した。

寛政3年(1791年)3月18日に嫡子となるが、家督を継ぐことなく同年7月23日(あるいは8月11日)に18歳で早世した。戒名は戒順院本覺玄理。代わって、弟の政醇が嫡子となった。