山名之弘
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山名 之弘(やまな ゆきひろ、生没年不詳)は、室町時代の武将、守護大名。伯耆守護。山名教之の3男[1]で豊之、豊氏の弟、元之、小太郎の兄。子に澄之。官位は右馬頭。
文明3年(1471年)9月に伯耆守護だった長兄の豊之が殺害され、文明5年(1473年)に父と本家当主の山名宗全が相次いで病没、一気に山名氏が混乱していく中、伯耆守護職を継承した。同5年9月19日には伯耆下向に先立って近江坂本に滞在、11月21日には伯耆・円福寺等の諸役を免除、禁制を掲げた。
之弘は伯耆守護として美作における赤松政則の旧領回復を防ぐ立場にいたが、之弘自身は赤松氏ら東軍の影響を強く受けており、山名家中からは正統な家督とは認められなかった。そのため、之弘の在職はわずか3年程[2]で終わり、弟の元之に守護職を譲った。以後の消息は不明。
脚注
[編集]- ^ 「山名家系図」には教之の次男とあるが、高橋正弘は著書・「因伯の戦国城郭 通史編」において名乗り上3男と考えるのが妥当としている。
- ^ 文明8年(1476年)12月18日、この日に室町幕府は伯耆守護山名九郎(元之)に対して不動院領保田庄の還付を督促している。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『因伯の戦国城郭 通史編』高橋正弘(自費出版、1986年)
- 『新編倉吉市史 第二巻 中・近世編』倉吉市
- 「戦国時代の伯耆地域における戦乱史」岡村吉彦(『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集 (伯耆編)』鳥取県教育委員会)