コンテンツにスキップ

小田切昌能

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切昌能
時代 江戸時代中期
生誕 貞享2年(1685年
死没 宝永2年10月7日1705年11月22日[1]
別名 善太郎[1]
戒名 性空[1]
墓所 牛込保善寺[1]
主君 徳川家宣
甲府藩
氏族 小田切氏
父母 父:小田切昌一、母:仙波太郎兵衛某娘[1]
兄弟 昌能、女子(鎌田清豊妻)、昌香[1]
養子:昌香[1]
テンプレートを表示

小田切 昌能(おだぎり まさよし)は、江戸時代中期の武士徳川氏家臣

経歴・人物

[編集]

江戸・桜田邸において甲府藩主・徳川綱豊(家宣)に仕えた[1]宝永元年(1704年)、家宣が江戸城西の丸に入った時に付き従い、御家人に列して蔵米700俵を賜い、小普請に属した[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 寛政重修諸家譜』巻第三百九十四