小田切昌能
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享2年(1685年) |
死没 | 宝永2年10月7日(1705年11月22日)[1] |
別名 | 善太郎[1] |
戒名 | 性空[1] |
墓所 | 牛込保善寺[1] |
主君 | 徳川家宣 |
藩 | 甲府藩 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:小田切昌一、母:仙波太郎兵衛某娘[1] |
兄弟 | 昌能、女子(鎌田清豊妻)、昌香[1] |
子 | 養子:昌香[1] |
小田切 昌能(おだぎり まさよし)は、江戸時代中期の武士。徳川氏家臣。
経歴・人物
[編集]江戸・桜田邸において甲府藩主・徳川綱豊(家宣)に仕えた[1]。宝永元年(1704年)、家宣が江戸城西の丸に入った時に付き従い、御家人に列して蔵米700俵を賜い、小普請に属した[1]。