小池村吉十郎

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小池村 吉十郎(こいけむら きちじゅうろう、明和4年(1767年) - 文化2年1月23日1805年2月22日[1]))は、江戸時代後期の一揆指導者[2]牛久助郷一揆の頭取のひとり。

経歴・人物[編集]

常陸国信太郡小池村の人物。

文化元年(1804年水戸街道牛久宿問屋による助郷役課増に反対し、桂村兵右衛門小池村勇七と共に一揆を指導[2]。一揆の頭取を務めた廉で捕えられ他の二人と共に江戸に送られ、文化2年(1805年)1月23日獄死した[2]

脚注[編集]

  1. ^ 和暦・西暦対照表〔1805年1月1日(文化元年12月1日)~1806年12月31日(文化3年11月22日)〕、2018年10月18日閲覧。
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『小池村吉十郎』 - コトバンク