宮地資弘

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宮地 資弘(みやち すけひろ)は、因島村上氏の家臣。

別名一作資弘。賜村上備中守、因島中御荘 大江城主。

略歴[編集]

15世紀中頃、金蓮寺などの因島の造営事業や水運などに関わった[1]

ウイキペディアにて父とされる宮地明光は “肥後国 三津之荘 波那屋 宮地家系譜” には宮地廣明と記されている。

法名が妙光。その父が宮地恒躬

中ノ庄の八幡社重修。金蓮寺薬師堂建立を手掛けた。

その子、長男・宮地忠明が大土生並び中ノ庄宮地家の氏祖〔太閤検地、千百七十六石〕。

次男の宮地賢正〔勘左衛門〕が三ノ庄宮地家の氏祖。

三男・宮地資明が尾道宮地家の氏祖。

脚注[編集]

  1. ^ 宮地資弘と在るが正しく〔三津之庄、波那屋宮地家系譜による〕は宮地資廣。

参考文献[編集]