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宍戸元礼

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宍戸 元礼(ししど もとあや、文化5年8月19日1808年10月8日[1] - 慶応3年12月27日1868年1月21日))は、長州藩士毛利家家臣。宍戸家第23代当主。幼名雄五郎。通称は孫四郎。初名は延良(のぶよし)。藩主毛利斉元は一時期父の養子だったため義兄にあたる。

略歴

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文化5年8月(1808年10月)、長州藩家老福原房純の次男として生まれる。天保2年(1831年)、母方の伯父宍戸親朝が没すると、当時隠居して実権を握っていた前藩主毛利斉熙の命によりその遺跡を相続し、義兄で藩主の毛利斉元より偏諱を賜り元礼に改名する。弘化元年(1844年)、二の郭警衛惣奉行となり長門沿岸の海防を担当する。弘化3年(1846年)、郷校徳修館の聖廟を新築する。安政2年(1855年)、隠居して家督を嫡男親基に譲る。慶応3年12月(1868年1月)死去。享年60。

親族

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父は福原房純。義兄に福原房昌こと毛利斉元、実兄に福原熙賢がいる。母は宍戸就年の娘。養父は伯父の宍戸親朝。正室は二条斉敬の落胤とされる寛斎の娘。子は宍戸親基福原親俊室。

脚注

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  1. 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.64。

参考文献

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  • 石川卓美『防長歴史用語辞典』マツノ書店、1986年