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大石 良次(おおいし よしつぎ、寛永5年(1628年) - 享保3年5月19日(1718年6月17日))は、江戸時代前期から中期の讃岐国高松藩士。
常陸国笠間藩(赤穂藩への移封前)浅野家の筆頭家老大石良勝の五男として生まれる。母は大石良定の三女。兄に大石良欽(赤穂藩筆頭家老1500石)、大石良重(赤穂藩家老450石)、奥村具知(富山藩家老800石)、小山良秀(赤穂藩士300石)がいる。姉に進藤長定(公家近衛家の諸大夫)の室、妹に進藤俊順(赤穂藩士。進藤俊式の父)の室がいる。庶子であるため、分家して讃岐高松藩に300石で仕えるようになった。
享保3年(1718年)に高松において死去。享年91。実相寺に葬られた。戒名は大機院白堂全桂。