大岸頼好
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| 大岸 頼好 | |
|---|---|
| 生誕 |
1902年2月18日 (現香美市) |
| 死没 | 1952年1月29日(49歳没) |
| 所属組織 |
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| 軍歴 | 1923 - 1936 |
| 最終階級 | 陸軍大尉 |
| 除隊後 | 皇道翼賛青年連盟委員 |
大岸 頼好(おおぎし よりよし、1902年〈明治35年〉2月18日 - 1952年〈昭和27年〉1月29日)は、日本の陸軍軍人、右翼活動家。
経歴
[編集]高知県香美郡片地村(土佐山田町を経て現香美市)出身[1]。大岸蓑吉、岩尾の息子として生まれた[1]。陸軍士官学校卒(35期)[2]。1930年西田税の指導する秘密結社「天剣党」に参加、皇道派青年将校運動のリーダーとなり、1931年9月「皇政維新法案大綱」という国家改造計画を起草した。1936年の2.26事件に関係して待命となり、左翼から転向の中村義明とともに右翼団体「あけぼの社」を設立。同年12月大尉で予備役。1940年9月近衛新体制に即応、革新青年団結のため結成された皇道翼賛青年連盟委員となった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus コトバンク
- 20世紀日本人名事典 コトバンク