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大和空軍施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大和空軍施設(やまとくうぐんしせつ)は、かつて東京都東大和市及び立川市に所在していた米軍基地である[1]大和基地とも呼ばれる。面積343,537平方メートル[1](約34ヘクタール)のうち、東大和市所在分は約31ヘクタールで立川市所在分は約3ヘクタールだった[2]

基地建設

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2020年現在の東大和市桜ケ丘2丁目から3丁目辺りは第二次世界大戦中には日立航空機の立川工場があり、工場ではエンジンや機体を製造していたが、米軍の3度(1945年2月17日、4月19日、4月24日)にわたる空襲により、工場は壊滅する。

第二次世界大戦後、工場跡地は日興工業西武鉄道の所有となっていたが、1950年(昭和25年)6月の朝鮮戦争によって新規に基地を建設する計画が持ち上がり、1952年(昭和27年)9月に西武鉄道の所有地が米軍兵舎用地として利用される通告が外務省及び東京都からなされる。大和村(現:東大和市)の人々は「在日合衆国軍兵舎接地反対期成同盟」を組織し村民大会を開催するなど、反対運動を展開した[3]が、1953年(昭和28年)2月27日には土地収用が認定され、同年7月15日に土地収用がなされる。そのバーターとして、大和村は工場内の青年学校校舎を大和村中学校(現:東大和市立第一中学校)として利用していたが、これを奈良橋へ移転するための費用を獲得する。そして1955年(昭和30年)2月に基地が完成する[4]

返還

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1973年(昭和48年)1月23日の第14回日米安全保障協議委員会によって3年以内の返還が合意され、同年6月30日に全面返還された。

跡地には約34.3ヘクタールに加えて、周辺都有地等9.3ヘクタール分の合計43.6ヘクタールに以下のものが建設された[5]

脚注

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  1. ^ a b 都内の米軍基地”. 東京都都市整備局. 2020年8月21日閲覧。
  2. ^ 『大和基地 跡地利用のあゆみ』東大和市企画財政部企画調整課、1991年、12頁。 
  3. ^ 『大和基地 跡地利用のあゆみ』東大和市企画財政部企画調整課、1991年、2頁。 
  4. ^ 『西の原爆ドーム、東の変電所 戦災変電所の奇跡』東大和・戦災変電所を保存する会、2017年、34-58頁。 
  5. ^ 『大和基地 跡地利用のあゆみ』東大和市企画財政部企画調整課、1991年、5-7頁。