大伴田麻呂

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大伴 田麻呂(おおとも の たまろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族官位従五位下土左守

経歴[編集]

淳仁朝天平宝字6年(762年従五位下叙爵し、翌天平宝字7年(763年参河守に任官する。しかし、天平宝字8年(764年藤原仲麻呂の乱が発生すると、連座して官位を剥奪された。なお、三河守の後任は孝謙上皇側について功労があった伊勢老人が任ぜられている[1]

光仁朝宝亀2年(771年)罪を赦されて本位(従五位下)に復し、宝亀5年(774年土左守に任ぜられている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字8年10月20日条

参考文献[編集]