大久保忠寄

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大久保 忠寄(おおくぼ ただより、天文16年(1547年) - 元亀3年12月22日1573年1月25日))は、戦国時代武将。通称 新蔵大久保忠世の弟[1]

略歴[編集]

大久保忠員の四男として三河国に生まれる。母は某氏。

徳川家康に仕え、三方ヶ原の戦いに従軍するも、元亀3年12月22日(1573年1月25日)討ち死した[1] [2]。享年26。法名善意 [1]

参考文献[編集]

  • 『寛政重修諸家譜第4輯』(榮進舍出版部 、1917年、794p)
  • 『地図で読み解く戦国合戦の真実』(小学館、2009年)

脚注[編集]