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多祁御奈刀弥神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多祁御奈刀弥神社
所在地 徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1
位置 北緯34度4分20.5秒 東経134度24分41.3秒 / 北緯34.072361度 東経134.411472度 / 34.072361; 134.411472 (多祁御奈刀弥神社)座標: 北緯34度4分20.5秒 東経134度24分41.3秒 / 北緯34.072361度 東経134.411472度 / 34.072361; 134.411472 (多祁御奈刀弥神社)
主祭神 建御名方命
八坂刀売命
社格 式内社旧郷社
創建 不詳
別名 お諏訪さん
東の宮
例祭 11月3日
地図
多祁御奈刀弥神社の位置(徳島県内)
多祁御奈刀弥神社
多祁御奈刀弥神社
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多祁御奈刀弥神社(たけみなとみじんじゃ)は、徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪に鎮座する神社である。式内社。諏訪大社の元社。

歴史

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創建年は不詳。現在の社殿は1720年享保5年)に建築された。

徳島藩主である蜂須賀家からの尊崇が高く、御例祭の際には参拝・代参していた。1627年寛永4年)には蜂須賀光隆が祈願し奇瑞を著した。また、蜂須賀氏が参拝の際は、鮎喰川の出水に遮られることがあるため、徳島城から近い諏訪神社に分霊したとも伝わる。

同神社の社伝記によると、「光仁帝宝亀十未年(779年)、信濃国諏訪郡南方刀美神社(現在の長野県諏訪大社)は、阿波国名方郡諏訪大明神を移遷し奉る」(『浦庄村史』)とある。つまり、国譲り交渉で、武御雷神と争った建御名方神の本源地は、阿波国の名方郡諏訪村(旧高足(タカシ)郷)で、長野県の南方刀美神社(諏訪大社)は、記紀の成立後に、阿波から移遷勧請されたことが、神社の記録に遺っていた[1]

祭神

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境内社

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  • 地神社

交通

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 笹田孝至『皇都ヤマトは阿波だった』サンロータス研究所2024年、p.173-185

参考文献

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