墨胡子

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墨胡子
不詳
法名 墨胡子
生地 インド[1]
没地 不詳
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墨胡子(ぼくこし、生没年不詳)は、新羅訥祇王代高句麗から新羅一善郡慶尚北道善山朝鮮語版付近[2])に行き、新羅仏教を伝えた[3]インドの出身とみられる[1]

人物[編集]

墨胡子は、訥祇王代に高句麗より新羅の一善郡に行った[2]一善郡毛礼は自宅に窟室をつくって墨胡子に提供した。そのころ、梁使が高句麗に来て「衣著の香物」を齎したが、誰も用途を知らなかった。墨胡子は用途を知っており、香を焚いたところ、王女の難病が平癒し、喜んだ王が礼を言おうとしたが、墨胡子はいずこともなく姿を消した[2]

考証[編集]

374年中国東晋から高句麗へ渡来し、高句麗仏教を伝えた東晋阿道と墨胡子とを同一人物とする伝えがある[3]。一方、墨胡子は固有名詞(人名)ではなく、容貌に起因した名であり、「顔が黒い外来人」の意味であるため、墨胡子は「顔が黒い外来人」の僧を指しているのであり、また、阿道も固有名詞(人名)ではなく、「髪の毛のない頭」の意味であるため、阿道は「髪の毛のない頭」の僧を指していると推定できるため、墨胡子と阿道を同一人物の名前とみることはできないという指摘もある[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c “묵호자(墨胡子)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220915231342/http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0019369 
  2. ^ a b c 薗田香融 (1989年3月). “東アジアにおける仏教の伝来と受容”. 関西大学東西学術研究所紀要 (22) (関西大学東西学術研究所): p. 12-14 
  3. ^ a b 世界大百科事典墨胡子』 - コトバンク

関連項目[編集]