堀直重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀直重
 
堀直重
堀直重像(須坂市博物館蔵)
時代 安土桃山時代-江戸時代初期
生誕 天正13年(1585年)
死没 元和3年6月17日(1617年7月15日)
官位 従五位下淡路守
幕府 江戸幕府
主君 豊臣秀吉秀頼徳川家康秀忠
信濃須坂藩
氏族 堀氏
父母 父 堀直政
兄弟 直清直寄直之
堀秀重の娘
直升直昭直久直房
テンプレートを表示

堀 直重(ほり なおしげ) は、江戸時代の大名。信濃須坂藩の初代藩主。信濃須坂堀家初代。堀直政の四男。兄に直清直寄直之

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に与して軍功を挙げたことにより、下総矢作に2000石と信濃須坂に6000石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも徳川方として参戦し、功績を挙げて高井郡内に4000石加増された。この加増年に関しては、元和元年(1615年)説と元和2年(1616年)説[1][2]がある。信濃国須坂に立藩し、最終的に1万2000石の所領を領した。

元和3年(1617年)に33歳で没し、その跡は長男・直升が継いだ。千葉県香取市新福寺に直重の石塔があるが、元和期前半の様相を備えた各部完存のものであり、死後まもなく一年忌ないし三年忌に建てられたものと推測される[3]

系譜[編集]

父母

正室

子女

脚注[編集]

  1. ^ 井出清文「須坂藩の立藩年における考察」『須高』60号、2005年。 
  2. ^ 須坂市誌編さん室 編『須坂市誌 地誌・民俗編』2015年。 
  3. ^ 小高春雄「香取市新福寺堀直重の石塔について」『房総の石仏』25号、2016年。 

参考文献[編集]

  • 寛政重修諸家譜 巻第767」
  • 須坂市立博物館 編『須坂藩主堀家史料集』1978年。 
  • 広瀬紀子『改訂 須坂藩主堀家の歴史』長野郷土史研究会、1988年。 
  • 山岸信之「須坂藩初代藩主堀直重の死因と宗勝寺」『須高』40号、1995年。