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吉村清三

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吉村 清三(よしむら せいぞう、1908年3月21日 - 2009年12月4日)は、日本の実業家関西電力元社長、会長。奈良県御所市出身[1]

経歴・人物

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1934年東京帝国大学経済学部を卒業し、大阪市電気局(のちの関西電力)に入社した[2]

芦原義重の後を継ぐ形で1970年からは社長を務め、1975年からは副会長を務めた[2]液化天然ガスの導入と原発建設の推進などにより、燃料の多様化に取り組んだ[1]

その一方で、1968年4月から1970年4月までに関西経済同友会代表幹事を務め、関西生産性本部会長も務めた[1][2]

1965年藍綬褒章を受章し、1981年11月に勲一等瑞宝章を受章[2]

2009年12月4日肺炎により死去[3]。101歳没

脚注

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  1. ^ a b c asahi.com(朝日新聞社):元関西電力社長、吉村清三さん死去 - おくやみ - ビジネス・経済”. www.asahi.com (2009年12月4日). 2022年1月26日閲覧。
  2. ^ a b c d 人事興信所 2009, よ81、よ82頁.
  3. ^ 2009年 12月5日 日本経済新聞 朝刊 p39
先代
芦原義重
関西電力社長
第3代:(1970年 - 1975年
次代
森岡俊男