古喜里講

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

古喜里講(こきりこう)は、磐城郡下片寄村(現在の福島県いわき市平下片寄)で行われていたとされる祭り[1]

かつて磐城七祭りといわれ、「馬目村田楽」、「絹谷村龍立」、「北神谷村白鍬」、「名木村布衣裳ほいと」、「大森村小佐々羅」、「狐塚村小侍」らと数えられていたが[2]、今は行われていない。

祭事が絶えていた時期もあり、寛永年間、上片寄と下片寄のいずれの村に属するかの争いがあり、笠間藩の裁定で下片寄に帰することになった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 石城郡誌, p. 436.
  2. ^ 石城郡誌, p. 435.

参考文献[編集]