南富田村
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みなみとんだむら 南富田村 | |
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廃止日 | 1955年3月15日 |
廃止理由 |
編入合併 南富田村 → 白浜町 |
現在の自治体 | 白浜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 和歌山県 |
郡 | 西牟婁郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,634人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 西富田村、北富田村、東富田村 |
南富田村役場 | |
所在地 | 和歌山県西牟婁郡南富田村大字中 |
座標 | 北緯33度39分12秒 東経135度23分51秒 / 北緯33.65322度 東経135.39753度座標: 北緯33度39分12秒 東経135度23分51秒 / 北緯33.65322度 東経135.39753度 |
ウィキプロジェクト |
南富田村(みなみとんだむら)は、和歌山県西牟婁郡にあった村。現在の白浜町栄及び中(南白浜地区)にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、栄村及び中村の区域をもって、南富田村が発足する。
- 1937年(昭和12年)12月20日 - 南富田小学校が火災で焼失。子供を含む81人が死亡[1]。
- 1955年(昭和30年)3月15日 - 白浜町に編入される。
- 本来、富田は古くから四富田(東西南北)であったが、西富田村は、隣接している田辺市と合併、東富田村と北富田村が合併して、富田村となった。
南富田は、1955年(昭和30年)3月15日 - 他の富田地区に先んじて白浜町と合併したため南白浜地区を称し、富田地区の小学校で白浜を称するのは南白浜小学校だけである。 白浜町には明光バス大浦バス停付近に、東白浜という通称の地名があるが、東富田とは、まったく別の地域である。 かつては、白浜町栄の白浜町立富田中学校近くに白浜町立南白浜幼稚園があったが、白浜町十九渕に移転、現在は白浜町立富田幼稚園となっている。 南富田小学校は南白浜小学校と改称したため、現在は南富田小学校の名称は存在はしない。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]脚注
[編集]- ^ 死者八十一人に、大部分は窒息死『大阪毎日新聞』(昭和12年12月22日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p72 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 30 和歌山県