十仁美容整形

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一般財団法人日本美容医学研究会 日本美容医学研究会付属 十仁美容整形(にほんびよういがくけんきゅうかい にほんびよういがくけんきゅうかいふぞく じゅうじんびようせいけい)[注釈 1]は、日本の美容整形外科の無床[注釈 2]診療所。現在は東京都中央区銀座にある。旧称は十仁病院

概要[編集]

美容外科という診療科目がまだなかった時代から、美容整形医学の研究を重ねてきた日本最古の医療機関である[要出典]

1938年(昭和13年)、医学博士であった梅澤文雄が、新橋駅銀座口前に「十仁病院」を開設した。

かつては本館と新館があり大規模で、入院設備や学会・シンポジウム会場もあった。電話番号を併記したレトロなロゴの病院看板が外壁の四方八方に数多く掲出され、その独特な外観でも有名だった。以前は新橋の日比谷口側・御徒町・渋谷・原宿・横浜・小田原・札幌・新潟・松山などに分院(十仁整形、十仁美容整形、十仁男性整形など)もあった。さらに、婦人服店(十仁プラザ)・薬局(十仁ファーマシー)・喫茶店(十仁サンキュー、十仁シャンネル)などが併設され、店内を経由し院内へ入ることも出来た。昭和時代には、テレビCM・ラジオCM・新聞広告・週刊誌広告・都内随所での電柱広告が多く見られ、テレビ番組の取材やドラマの撮影で登場したこともあった。

2005年4月をもって銀座へ移転し、本院自体も「十仁美容整形」の名称となった[1]。今では現代的なクリニックである銀座の本院に一本化され、開院以来85年の歴史を持つ。

沿革[編集]

  • 1931年 - 初代院長・梅澤文雄により御徒町に回春堂医院を開院。漢方を用いた抗老化医学(現在でいうアンチエイジング)を施す。
  • 1938年 - 新橋駅前に十仁病院を開設。主に外科・泌尿器科として診療。並行して美容整形を研究。
  • 1941年 - 第二次世界大戦に伴い、首都防衛第一救護所に指定される。
  • 1945年 - 終戦後、総合病院として診療再開(美容整形外科診療も含む)。
  • 1948年 - 日本美容医学研究所を設立。
  • 1965年 - 日本美容学会を設立。
  • 1972年 - 高級婦人服の製造販売を行う十仁プラザを創立(1983年・法人化、2012年・事業撤退[2])。
  • 1977年 - 日本美容整形学会より医療法第70条を改正して「美容整形科」を診療科名に制定するよう厚生省及び自民党に要望。
  • 1978年 - 「美容整形科」は「美容外科」として国会で正式に認証される。
  • 1980年 - 国際美容外科学会を設立。
  • 1984年 - 2代目院長・梅澤文彦[注釈 3]が日本美容医学研究所理事長就任。1987年、十仁病院(新橋本院)院長に就任。
  • 2005年 - 本院建物の老朽化と解体に伴い、新橋から銀座の天國ビル5階に移転。当初は改築後に新橋へ戻る予定だったが、銀座への正式移転となった。法規上診療所扱いとなった事から名称を現在の「十仁美容整形」に改称。
  • 2017年1月9日 - 2代目院長・梅澤文彦が死去[3]。享年83歳。同年5月29日には、梅澤前院長に日本美容外科学会から感謝状が贈られた[4]
  • 2017年 - 前院長の死去に伴い、鳴海栄治が3代目院長に就任。
  • 2021年 - 江原真貴子が4代目院長に就任。
  • 2022年 - 入居していた天國ビルの解体に伴い、並びのJEWEL BOX GINZA5階へ移転。現在に至る。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 東京都医療機関情報案内サービス"ひまわり" における2010年12月14日現在の医療法上の届出正式名称。ふりがなも同サービスによる。
  2. ^ 十仁病院時代は整形外科以外に皮膚科、眼科、婦人科、耳鼻咽喉科、矯正歯科といった診療科目があり、病室も存在した。現在は整形外科、形成外科、美容外科の3科目がある。
  3. ^ 文彦は5歳の時交通事故で頬の肉が裂ける重傷を負い、父・文雄の手による整復手術で傷跡を残さず完治した事がきっかけで整形外科医を志したという(本人のブログ)。

出典[編集]

  1. ^ 十仁美容整形HP(アクセス・地図)
  2. ^ 十仁プラザ information「閉店のお知らせ」
  3. ^ 日本美容外科医師会ニュース(2017年3月31日、117号)
  4. ^ 前院長 梅澤文彦(故人)に日本美容外科学会から感謝状”. 十仁美容整形HP「ニュース」 (2017年5月29日). 2017年7月4日閲覧。

外部リンク[編集]