劉徳然

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劉 徳然 (りゅう とくぜん、生没年不詳)は、中国後漢末の人物。幽州涿郡涿県の出身。陸城亭侯の劉貞[1]の末裔とされる劉元起の子で、蜀漢初代皇帝劉備族兄弟。「徳然」はおそらくで、名は不明。

彼の事項は『蜀書』「先主伝」に記されており、175年ごろに、父の命でいとこの劉備(15歳)と共に同郷の儒学者として有名な盧植の下で学問を学び、そこで学友の公孫瓚と出会うことになった。

その後の徳然の動向は記されておらず、不詳である。

脚注[編集]

  1. ^ 『蜀書』先主伝よりが引用する『典略』および、『後漢書』には3人の臨邑侯の名が記録されている。一人は建武2年(西暦26年)に真定劉楊と共に後漢への謀反を起こした劉譲であり、もう一人は建武30年(54年)に臨邑侯に封じられた劉復、いま一人は劉復の子の劉騊駼である。劉譲は劉楊の弟であり、劉楊は前漢景帝の7代の孫である。劉復は北海靖王劉興の子であり、劉興は光武帝の兄の斉武王・劉縯(伯升)の子である。