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前田金造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

前田 金造(まえだ きんぞう、1884年明治17年)4月[1] - 没年不明)は、日本商人(石油燐寸[1]穀物[2])、山口県多額納税[1][2][3]、下関商工会議所常議員[2]

人物

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山口県人・前田利兵衛の四男[1][2]1929年家督を相続する[2]商業を営む[3]。『商工資産信用録 第33回 中国四国版』によると「調査年月・1931年4月、正身身代・不詳、信用程度・E、職業・油燐寸」である[4]。山口県在籍で、住所は下関市阿弥陀寺町[1]、同市西南部町[2]

家族・親族

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前田家
  • 父・利兵衛1848年 - ?、山口、福田與七郎の二男)[1]
  • 母・タネ1854年 - ?、山口、升本クラの長女[1]、あるいは升本伊織の二女[2]
  • 妻・ウタコ[1](あるいはウタ子[2]1892年 - ?、山口、藤井安雄の妹[1]
  • 男・利一1912年 - ?)[1][2]
  • 長女[1]
  • 二女[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第8版』マ18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第9版』マ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月19日閲覧。
  3. ^ a b 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 山口県64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月19日閲覧。
  4. ^ 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』山口県やま之部20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月16日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
  • 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』商業興信所、1932年。