偰 眉寿(せつ びじゅ、1359年 - 1415年)は、ウイグル族出身の高麗の文官。慶州偰氏の始祖偰文質の孫である偰遜の五男。高麗の恭愍王時代に文科に及第、李氏朝鮮時代に礼曹判書まで登りつめた[1]。長兄は恭愍王11年に文科に及第、判三司事を務めた偰長寿[1]。兄の偰慶寿も、恭愍王の時代に文科に及第した[1]。甥(偰慶寿の子)の偰循は、李氏朝鮮の太宗の時代に文科に及第し、世宗の時代に集賢殿副提学を務めた[1]。