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倭国香媛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
倭国香媛
時代 伝承の時代
生誕 不明
死没 不明
別名 意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)、絙某姉(はえいろね)、蠅伊呂泥(はえいろね)
父母 和知都美命(父母いずれかは不明)
兄弟 絙某弟、蠅伊呂杼
孝霊天皇
倭迹迹日百襲姫命吉備津彦命倭迹迹稚屋姫命
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倭国香媛(やまとくにかひめ、生没年不詳)は、古代日本の伝承上の人物。孝霊天皇の妃で、倭迹迹日百襲姫命吉備津彦命の母親とされる。別名は絙某姉(はえいろね)。妹の絙某弟(はえいろど)も孝霊天皇の妃とされる。『日本書紀』には出自の記載がないが、『古事記』では安寧天皇の曾孫で淡路島出身の蠅伊呂泥(はえいろね)またの名、意富夜麻登久邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)と記されている。『古事記』が記す系譜によれば、蠅伊呂泥と蠅伊呂杼は師木県主波延(はえ)の玄孫に当たる。

別名について

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またの名「おおやまとくにあれひめのみこと」は神武天皇の名前「神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)」に類似するが、その理由は不明である。『古事記』は歌謡を除き「やまと」をすべて「」と表記するが、この女性と娘の夜麻登登母母曽毘売命のみをなぜ歌謡のように「夜麻登」と表記するのかも謎である。また『古事記』で「大倭(おおやまと)」を含む人名は懿徳天皇孝安天皇孝霊天皇孝元天皇清寧天皇の5人だけである。参考までに壬申の乱では箸墓古墳が戦場となり、神武天皇陵が出現している。森浩一は次のように述べている。「多少の誤解を恐れずに言えば、箸墓こそヤマトにとっての実際上の、あるいは古くからある「始祖王」的な古墳であり、神武陵は7世紀頃に新設された新造の「始祖王」の古墳であった」[1]箸墓(壬申の乱当時は「箸陵」と呼ばれていた)があるのになぜ新造の必要があったのかを森は説明していないが「女の墓」という伝承との関連を示唆している。

脚注

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  1. ^ 中公文庫 日本の古代5『前方後円墳の世紀』ISBN 9784122025455 p306, 317