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井生村楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井生村楼(いぶむらろう)は明治時代に東京浅草にあった大集会用の会場である。政治、宗教の演説会場として利用された。

1874年(明治7年)東京浅草須賀町に井生村楼という貸席が建設される。東京の演説会の会場として利用された。

1878年(明治11年)6月30日、エドワード・S・モースが、500人余の聴衆に『大森村にて発見せし前世界古器物』をテーマとした公開講演を行った[1]

1880年5月に創立された東京青年会(東京YMCA)も創立当初は頻繁に利用していた。

1880年(明治13年)8月のインド人牧師ナラヤンの「インドの過去・現在」という演説は、グイド・フルベッキ井深梶之助の通訳で大盛況を治めた。

1880年11月のクック宣教師の第2回学術講演なども開催された。

1883年(明治16年)5月に行われた第三回全国基督教信徒大親睦会の「演説」の会場として使用された。

1887年(明治20年)9月には旧自由党立憲改進党合同の「大同団結大会」が開かれた。

脚注

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  1. ^ 森 1994, pp. 13–14.

参考文献

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  • 森浩一『考古学と古代日本』中央公論社、1994年3月25日。ISBN 4-12-002304-4NDLJP:13181052 (要無料登録要登録)
  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年