井岡弘樹

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井岡 弘樹(いおか ひろき、1969年1月8日-)は大阪府堺市出身の元プロボクサーグリーンツダジム所属。右ボクサータイプ。大阪経済大学経営学部第二部在学。

元々は野球少年で南海ホークス友の会会員。赤井英和に憧れ、中学2年で赤井の属する三和ツダジム(現グリーンツダジム)入門。義務教育修了と同時に三和ツダジム(現グリーンツダジム)で合宿し17歳でプロデビュー。

軽量級らしい伸びのある左ジャブ・右ストレートを武器に日本最年少の18歳9ヶ月WBC世界ミニマム級初代王者となる。また、WBA世界ライトフライ級王座も獲得、2階級制覇を達成した。多くの世界王者を輩出した名伯楽、エディ・タウンゼントの最後の弟子。現井岡ボクシングジム会長。

現役時代の入場曲はTEENA MARIEの「LEAD ME ON」。井岡のボクシングスタイルを象徴するような、リズム感に溢れる曲。

  • 1987年 日本ミニマム級王者(これも、獲得時の最年少日本王者であり、日本最年少の世界チャンピオン獲得ともに今でも破られていない)
  • 1987年 WBC世界ミニマム級王者(2度防衛)
  • 1991年 WBA世界ライトフライ級王者(2度防衛)

現在は井岡ボクシングジムの会長。天然系キャラで関西ローカルTVのバラエティ番組などにも時折出演する。

トランポリンが嫌い。『ごきげん!ブランニュ』(ABCテレビ)でトランポリンの企画に井岡が参加することになった際、あまりにもやりたくなかったのかロケ先のトランポリンジムに自ら直接「今度のロケ中止になりました」と電話をかけたことがある。しかし当然ながらロケは行われた。

好きなアルファベット3文字は、ABC。

おいの井岡一翔(大阪・興国高)はライトフライ級で高校6冠を達成。

戦績

  • 1986年1月 プロデビュー。
  • 1987年7月 日本ミニマム級王座獲得。
  • 1987年10月18日 WBC世界ミニマム級の初代王座決定戦に出場。9戦目にしてマイ・トンブリファームタイ)を12回判定で降し、18歳9ヵ月で世界王座獲得。
  • 1988年1月31日 WBC世界王座初防衛戦。李敬淵(韓国)に12RTKO勝ち。病床の恩師エディ・タウンゼントに捧げる勝利だった。
  • 1988年6月5日 WBC世界王座2度目の防衛戦。ナパ・キャットワンチャイタイ)と12R引き分けで防衛。最終ラウンドにナパにダウン寸前まで追い込まれるも、ゴングが30秒早く鳴らされた疑惑の試合であった。
  • 1988年11月13日 WBC世界王座3度目の防衛戦。ナパとのリターンマッチで12R判定負けし王座陥落。
  • 1989年6月10日 WBC世界王座に再挑戦。ナパとのラバーマッチに11RTKO負けし王座奪還ならず。
  • 1991年12月17日 WBA世界ライトフライ級王座に挑戦。17度連続防衛中の王者、柳明佑韓国)に、圧倒的不利の予想を覆し12R判定勝ち。2階級制覇を達成。以後2度防衛。
  • 1992年11月18日 WBA世界王座3度目の防衛戦。柳明佑との再戦に判定負けし王座陥落。
  • 1993年6月23日 WBA世界フライ級王座に挑戦。3階級制覇を目指すも、王者デビッド・グリマン(ベネズエラ帝拳プロモーションと契約)に8回TKO負け。
  • 1995年10月17日 WBA世界フライ級王座に再挑戦。王者セーン・ソー・プルンチット(タイ)に10回TKO負け。
  • 1997年2月25日 WBA世界フライ級王座に三たび挑戦。王者ホセ・ボニージャ(ベネズエラ)に7回TKO負け。
  • 1998年4月29日 WBAスーパーフライ級王座に挑戦。王者飯田覚士に12R判定負け。
  • 1998年12月19日 ノンタイトル10回戦で無名のノーランカーを相手に5RTKO負けを喫する。この試合で井岡は引退を決意。この時井岡に土をつけた無名のボクサーが、後にWBC世界スーパーフライ級王座を通算9度防衛することになる徳山昌守であった。

最終戦績は42戦33勝(17KO)8敗1分。

獲得タイトル

  • 日本ミニマム級王座(防衛0=返上)
  • WBC世界ミニマム級王座(防衛2)
  • WBA世界ライトフライ級王座(防衛2)

外部リンク

井岡ボクシングジム

前王者
階級新設
初代WBC世界ミニマム級王者

1987年10月18日 - 1988年11月13日

次王者
ナパ・キャットワンチャイ
前王者
柳明佑
第11代WBA世界ライトフライ級王者

1991年12月17日 - 1992年11月18日

次王者
柳明佑