事実上独立した地域一覧

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  1か国以上の国連加盟国から国家承認を受けている国連総会オブザーバー、或いは国連非加盟国
  国際連合非加盟国のみが国家承認をしている国連非加盟国
  国際社会から国家承認を一切受けていない国連非加盟国
  「事実上独立した地域」の扱いを理由に1か国以上の国連加盟国から国家承認を受けていない国連加盟国

事実上独立した地域一覧(じじつじょうどくりつしたちいきいちらん)は、独立の主張があり、モンテビデオ条約が定める「国家」の資格(領域住民政府外交能力)を満たし得ると考えられるものの、国際政治的な諸事情により国際社会から広く国家としての承認を得らず、国際連合加盟国となれていない地域の一覧である。

  • 本項目では、「事実上独立した地域」として下記の10か国を扱う。
  1. 国際連合総会オブザーバー資格を有し、かつ国連への正式加盟を目指している1か国(パレスチナ国
  2. 国の一覧で『国家の承認を得る国が少ない、またはない国』の節に掲載されているクック諸島ニウエ以外の9か国。
  • クック諸島とニウエについては『他国と自由連合関係にある国連非加盟国』で扱う。
  • 「国家」を名乗る組織が現実に存在するが、「国家」の資格を満たしていない政治的な実体については『「国家」の資格を満たさない実体』で扱う。
  • 参考として、他国からの国家承認に「事実上独立した地域」との関係が影響している国連加盟国についても下記で解説する。
  • 各節では、国家承認する(或いは国家承認しない)国が多い順に地域を掲載している。承認国数が同じ場合は五十音順に並べている。

1か国以上の国際連合加盟国から国家承認を受けている地域[編集]

国連総会オブザーバー資格を有する国[編集]

1988年に独立宣言。パレスチナ問題の解決を目指す1947年のパレスチナ分割決議によってイギリス委任統治領パレスチナの分割及びにパレスチナ人国家とユダヤ人国家の創設が定められたが、パレスチナ人はこれを不服として第一次中東戦争に至ったために実現には至らなかった。パレスチナは第三次中東戦争以降全域がイスラエルの占領下に置かれたが、1987年に発生した第1次インティファーダの過程においてパレスチナ解放機構パレスチナの独立宣言を出し、1994年にはオスロ合意に基づいてパレスチナ自治政府が設立された。2008年のガザ紛争以降にパレスチナを国家承認する国が増加すると、自治政府は2011年から「パレスチナ国」としての国連加盟を求める運動を展開し、2011年よりUNESCO加盟国、2012年より国連総会オブザーバー国として、国際連合に参加している。
パレスチナを国として承認しない国々は、パレスチナ国土をパレスチナ自治区、パレスチナ政府をパレスチナ自治政府として認識し、実務関係を有している。

元国連加盟国[編集]

1912年に建国。国際連合発足時から「中国(China)代表」として加盟(国連原加盟国)。国共内戦の過程において、1949年に中国共産党によって中華人民共和国が建国され、中華民国の中国国民党政府が中国大陸から台湾島へ撤退すると、双方が「正統性を有する唯一の中国の国家(一つの中国)」としての地位を主張する分断国家となった。国連に「中国代表」として参加する権利は中華人民共和国建国後も中華民国が引き続き維持していたが、1971年のアルバニア決議によって「中国代表」権は中華人民共和国のものとされ、中華民国は国連を脱退した。国連脱退後も中華民国は台湾地区実効支配を維持しているが、中華人民共和国は他国に対して「二つの中国」を認めず、建国以来一度も統治できていない台湾の主権帰属先(台湾問題)も自国に正統性があるとの方針を貫いている。その為国連脱退後も中華民国を承認している国は主に中米太平洋上の小国など中華民国の支援を受けている国が多く、それ以外の国は基本的に中華人民共和国を承認している。近年は中華人民共和国が他国を支援することも多くなってきたため、中華民国を国家承認する国は年々減少している。
中華民国を国として承認しない国々のうち、中華人民共和国と親しい国は台湾地区を中華人民共和国の一部(福建省台湾省)として扱っている。一方で中華人民共和国と親しい国以外(西側諸国等)は、台湾地区を「台湾」という個別の地域、中華民国政府を「台湾地区を実効支配する政治的実体」と認識している。中華民国はそれらの国と非公式的な実務関係を有しており、事実上の大使館として機能する台北経済文化代表処を設置している。

国連に参加・加盟した実績が無い地域[編集]

2008年にセルビアから独立宣言。20世紀初頭のバルカン戦争時にアルバニアの一部として独立したが、1913年の戦後処理でセルビア王国の領土とされた。ユーゴスラビア連邦人民共和国の体制下で1946年にセルビア人民共和国の一部としてコソボ・メトヒヤ自治州(第一次)が設置され、1974年に自治権を拡大したコソボ社会主義自治州に移行されたが、1989年に成立したセルビア社会主義共和国(後にセルビア共和国)のスロボダン・ミロシェヴィッチ政権はセルビア民族統一主義政策の一環として自治権を縮小したコソボ・メトヒヤ自治州(第二次)を設置した。この措置に対してに多く居住するアルバニア系住民が反発し、旧社会主義自治州の関係者によって1990年にコソボ共和国の建国が宣言された。1998年に勃発したコソボ紛争の結果、ユーゴスラビア連邦共和国(セルビア共和国)の主権下を事実上離脱し、国際連合コソボ暫定行政ミッションの統治下でコソボ地位問題の解決を目指いしていたが、2007年に国連暫定統治終了後の地位を巡る交渉が決裂したことによって一方的な独立に至った。
コソボ共和国を国として承認しない国々は、コソボをセルビアの一部(コソボ・メトヒヤ自治州)として扱っている。
1976年にスペインから独立宣言。1884年からスペイン植民地スペイン領サハラ)となっていた西サハラの返還運動がモロッコモーリタニアで高まった事を受け、1975年に三者間でマドリード協定が締結されてスペインは西サハラから撤退した。協定ではモロッコとモーリタニアによる西サハラの分割統治が定められたが、独立志向のサハラウィー人英語版を主体とする現地住民はこれを不服とし、1973年にポリサリオ戦線を組織してアルジェリアの支援の下で独立を宣言した。独立宣言直後から西サハラ戦争が本格化し、1979年にモーリタニアは西サハラから撤退したものの、1991年の停戦を経て現在に至るまで西サハラの約7割に当る地域をモロッコが実効支配している。サハラ・アラブ共和国は西サハラの約3割を実効支配しているが、中央政府はアルジェリアに本拠地を置いたままとなっており、西サハラの最終的な領有権を決める西サハラ問題も未解決となっている。
サハラ・アラブ民主共和国を国として承認しない国々は、モロッコの西サハラ領有も承認していない為[5]、西サハラを「国際連合西サハラ住民投票ミッションが完了するまで主権帰属先が未定の地域」として扱っている。
1992年にグルジア(現ジョージア)から独立宣言。1921年にソビエト連邦アブハジア社会主義ソビエト共和国を設置したが、1931年にグルジア・ソビエト社会主義共和国(現在のジョージアの前身)内のアブハズ自治ソビエト社会主義共和国へ降格された。その後、ペレストロイカの過程でカルトヴェリ人民族主義を強めたグルジアが1992年に憲法改正でアブハジアの自治共和国を事実上廃止すると、それに反発するアブハズ人が独立を宣言し、宣言直後に勃発したアブハジア戦争英語版に独立支持勢力が勝利することでアブハジアの大多数がグルジアの実効支配下から離れた。2008年にグルジア軍の南オセチア侵攻を契機として勃発した南オセチア紛争の結果、グルジアがアブハジアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。
アブハジア共和国を国として承認しない国々は、アブハジアをジョージアの一部(アブハジア自治共和国)として扱っている。
1991年にグルジア(現ジョージア)から独立宣言。1921年にソビエト連邦グルジア・ソビエト社会主義共和国(現在のジョージアの前身)内の自治州として南オセチア自治州を設置したが、ペレストロイカの過程においてグルジア・ソビエト社会主義共和国はカルトヴェリ人民族主義政策強化の一環として1990年に自治州を廃止した。これに対して南オセチア自治州に多く居住するオセット人が反発し、1991年のグルジア独立直前に勃発した第一次南オセチア紛争英語版を経て独立に至った。2008年のグルジア軍による南オセチア侵攻を契機として勃発した第二次南オセチア紛争の結果、グルジアが南オセチアの一部で有していた支配権を獲得し、ロシアによって独立が承認された。
南オセチア共和国を国として承認しない国々は、南オセチアをジョージアの一部(ラチャ=レチフミおよびクヴェモ・スヴァネティ州イメレティ州シダ・カルトリ州ムツヘタ=ムティアネティ州)として扱っている。
1983年にキプロスから独立宣言。1960年に独立したキプロス共和国政府はギリシャ系住民とトルコ系住民の共存を目指していたが、キプロス紛争の過程において1974年にギリシャ軍事政権の支援をギリシア系民兵によるクーデターで政権が崩壊した。これに対し、エノシス英語版(全キプロスのギリシャへの統合)実現の可能性を恐れたトルコは「トルコ系住民保護」を名目にトルコ軍をキプロスへ侵攻させ、キプロスは北部のトルコ軍実効支配地域と南部のキプロス政府実効支配地域に分断された。1975年にトルコ軍実効支配地域はキプロス連邦トルコ人共和国を建国して連邦制によるキプロス共和国政府との再統合を目指したものの、分断以前の体制への復帰を望む共和国政府との統合交渉が決裂したことによって独立に至った。
北キプロス・トルコ共和国を国として承認しない国々は、北キプロスをキプロス共和国の一部(ファマグスタ地区キレニア地区ラルナカ地区)として扱っている。

国際連合非加盟国のみが国家承認している地域[編集]

旧・ナゴルノ・カラバフ共和国。1991年にアゼルバイジャンから独立宣言。ナゴルノ・カラバフロシア帝国の制圧以前からアゼルバイジャン人アルメニア人による領土紛争の舞台となってきたが、1921年にソビエト連邦はアルメニア系住民が多く居住する同地をアゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国に帰属させる決定を下し、1923年にアルメニア人の自治州としてナゴルノ・カラバフ自治州が成立した。これに対しアルメニア人たちは度々ソ連中央政府にナゴルノ・カラバフのアルメニア・ソビエト社会主義共和国(現アルメニア)編入を求めていたが、1985年のペレストロイカ開始後にアルメニアへの編入を求める動きはアゼルバイジャン人とアルメニア人の暴力的な衝突につながり、1988年のナゴルノ・カラバフ戦争勃発に至った。ナゴルノ・カラバフ自治共和国とその周辺地域はアゼルバイジャンの独立直後に「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を宣言し、1994年の停戦によって実効支配を確実なものとしている。
* 国家承認している地域:アブハジアの旗アブハジア、沿ドニエストル共和国の旗沿ドニエストル、及び南オセチアの旗南オセチア(計:3地域)
* 国家承認していない国々は、アゼルバイジャンの一部(14の県)として扱っている。
1990年にモルダビア・ソビエト社会主義共和国(現モルドバ)から独立宣言。1924年にソビエト連邦モルダビア自治ソビエト社会主義共和国ウクライナ・ソビエト社会主義共和国自治共和国として設置したが、1940年にソ連がルーマニアからベッサラビアを獲得すると、新設されたにモルダビア・ソビエト社会主義共和国の一部に組み込まれ消滅した。その後、ペレストロイカの過程でモルダビア政府がモルドバ人民族主義政策および親ルーマニア政策を強めたことに対し、旧ウクライナ領のドニエストル川東岸に多く居住するロシア系住民が反発して独立を宣言するに至った。1992年に勃発したトランスニストリア戦争の勝利によって実効支配を確実なものとしている。
* 国家承認している地域:アブハジアの旗アブハジア、アルツァフ共和国の旗アルツァフ、及び南オセチアの旗南オセチア(計:3地域)
* 国家承認していない国々は、モルドバの一部(沿ドニエストル地域ベンデル)として扱っている。

国際社会から国家承認を一切受けていない地域[編集]

1991年にソマリアから独立宣言。1884年からイギリス領ソマリランドとしてイギリス植民地となり、1960年にイタリア信託統治領ソマリア独立時の統合を前提にソマリランド国として独立し、直後に統一ソマリアの一部に組み込まれた。その後、ソマリア内戦の過程で1991年にモハメド・シアド・バーレ政権が崩壊すると、同政権に弾圧されていたイサック主体のソマリ国民運動によって「ソマリランド」の独立が宣言され、ソマリア北西部を実効支配した。旧イギリス領ソマリランド一帯を領土と主張しているが、隣接するプントランドと境界紛争(プントランド・ソマリランド紛争)を抱えている。事実上の独立国家として機能しており、隣国エチオピアとは駐在員を相互に派遣しあう関係にあるものの、国家承認をする国・地域は存在しない。
国際社会では、ソマリランドをソマリアの一部として扱っている。

「事実上独立した地域」の扱いを理由に1か国以上の国連加盟国から国家承認を受けていない国連加盟国[編集]

「事実上独立した地域」が国連加盟国となった国[編集]

日本統治からの離脱後に「主権回復後の統治方針を資本主義社会主義のどちらにすべきか」というイデオロギーの選択が原因で北(北朝鮮)と南(韓国)の分断国家としてそれぞれ独立した。その際、南北双方は共に「正統性を有する朝鮮唯一の国家」であると自任し、相手方の実効支配地域も自国が統治すべき領域であるという前提で憲法を制定した[9]
それに伴い、南北双方は国際社会でも「正統性を有する朝鮮唯一の国家」としての地位を巡って対立し、南北等距離外交を採る非同盟諸国を除き、冷戦期間中は北が西側陣営、南が東側陣営や非同盟諸国から国家承認を得ることができなかった。1989年に冷戦が終結し1991年に南北両国が同時に国連加盟国になると、国際社会の大多数が南北等距離外交によって南北双方を国家承認するようになったが、一部の国は今なお南北の一方を国家として承認していない。
なお、朝鮮と同じく冷戦期に分断国家となったドイツ東西ドイツ基本条約で東西双方が互いを国家承認し合った上で国連に同時加盟したが、朝鮮の場合は1991年の国連同時加盟後も南北双方が互いを国家承認し合っていない。国連加盟直後に締結された南北基本合意書前文では南北双方の関係を「国と国との関係ではない、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」であると認定している。
韓国は自国の地域・民族名称を「韓」としているため、北朝鮮を「北韓」(ほっかん)という地域として扱っている。韓国以外では、日本アメリカ合衆国フランスを初めとする24か国が建国以来一度も国家承認しておらず、アルゼンチンチリイラクの3か国が「正統性を有する朝鮮唯一の国家」として一時期承認した後に撤回している[10]
なお、コスタリカ[11]サモア独立国[12]ボツワナ[13]ポルトガル[14]、及びヨルダン[15]の5か国は、南北等距離外交で北朝鮮を国家承認した後に外交関係を断絶させているが、国家承認までは取り消していない。
  • 大韓民国の旗 韓国 - 非承認国数 1/192
北朝鮮は自国の地域・民族名称を「朝鮮」としているため、韓国を「南朝鮮」(みなみちょうせん)という地域として扱っている。北朝鮮以外で国家承認していない国連加盟国はない。ただし、韓国と一定の外交関係を有しながら国交を有さないキューバ[16]シリア、及びマケドニア共和国[17]の3か国のうち、キューバとシリアの2か国は北朝鮮と親密な外交関係を築いている事が韓国と国交を結ばない理由の一つになっている[18]

その他の国々[編集]

1948年に建国。パレスチナ国を国家承認せず、国際連合加盟国になることに反対している。パレスチナ自治政府は承認する一方、国際的にパレスチナ自治区の一部とされるヨルダン川西岸地区のC地区、及び東エルサレムを一方的に自国の一部として統治している。パレスチナ国を国家承認している国連加盟諸国のうち、パレスチナ問題を理由として26か国は建国以来一度もイスラエルを国家承認しておらず、9カ国は一時期イスラエルを国家承認したが後に撤回している[19]
1949年に建国。中華民国を国家承認せず、「一つの中国」の原則から台湾地区を自国の福建省の一部、或いは台湾省に属すると主張している。中華民国を国家承認している全ての国連加盟国は、台湾問題における中華民国の立場を支持し、「一つの中国は中華民国」であると認識しているため、中華人民共和国を国家承認していない。
1991年に独立。アルツァフ共和国を国家承認せず、ナゴルノ・カラバフを自国の一部ともしない一方、アルメニア軍がナゴルノ・カラバフに駐屯地を有し、アルツァフ国防軍と高度に一体的な活動をしている為、アゼルバイジャンから自国領の占領国とみなされている。アゼルバイジャンは、独立前から続くナゴルノ・カラバフ戦争停戦状態(アルツァフ共和国の独立状態)のままで、終戦(ナゴルノ・カラバフの主権帰属先に関する合意)に至っていないため、独立以来アルメニアの国家承認を行っていない。
1960年に建国。北キプロス・トルコ共和国を国家承認せず、北キプロスをトルコ軍占領された自国の領土とみなしている。北キプロス・トルコ共和国を国家承認している国連加盟国のトルコは、1974年の南北分断以降のキプロス共和国は南キプロスのギリシャ系住民のみを代表する存在と認識し、キプロス問題が未解決であることを理由に国家承認を取り消している。

「事実上独立した地域」に該当しない政治的実体[編集]

他国と自由連合関係にある国連非加盟国[編集]

両地域は1970年代からニュージーランド自由連合の関係にある。1988年以降はニュージーランド政府が結ぶ国際的な合意の効力が及ばなくなっており、1990年代には国際連合事務局が両地域に「条約を締結する能力が完全にある」ことを認めている。両地域の国連代表権は依然としてニュージーランドにあり、国家承認する国際連合加盟国も少数だが、「事実上独立した地域」とは異なり両地域が独立国家となることを国際社会で否認する国は存在しない。

「国家」の資格を満たさない実体[編集]

1522年からマルタ島領土としていたが、1798年の領土喪失後はモンテビデオ条約が定める「国家」の資格(領域住民政府)を満たさない組織となった。しかし、かつて領土を有していた経緯から「主権実体」として113の国・地域が何らかの関係を有しており、国連でも「国連総会オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体 (entity) あるいは国際組織」の一つとして扱われている。
2014年ウクライナ騒乱に対する反発とクリミアの独立・ロシア編入の影響から、いずれも2014年にウクライナからの一方的な建国宣言(後に独立宣言独立)を行い、その直後から「反乱行為」の鎮圧を目指すウクライナ政府との武力紛争状態が続いている。両者は独立国家としてノヴォロシア人民共和国連邦を結成(後に凍結)する一方で、紛争地域がウクライナの法改正と地方選挙の後に「特別な地位を有する特定地域」としてウクライナに復帰することを定めた2014年のミンスク協定英語版及び2015年の新ミンスク協定英語版に調印している。
両者は南オセチア共和国から国家承認を受けているが、継続中の紛争下でモンテビデオ条約が定める「国家」の資格(領域、住民、政府、外交能力)をどこまで有しているか客観的な確認がとれておらず、またミンスク協定によってウクライナへの復帰が最終的な政治目標であることが国際的[20]に確認されている為、国際社会では「領土を支配する反政府組織」と認識されている。
なお、ウクライナ東部では同時期にハリコフ人民共和国の建国も宣言されたが、ウクライナ当局が宣言直後の鎮圧に成功している。
世界にはミクロネーションと呼ばれる実体がいくつか存在するが、これらはいずれもモンテビデオ条約が定める「国家」の資格を満たし得る存在とは国際的に認識されていない。

脚注[編集]

  1. ^ 承認国の一覧はパレスチナ国#国際関係を参照のこと。
  2. ^ 承認国の一覧は中華民国#国際関係を参照のこと。
  3. ^ 承認国の一覧はコソボ#コソボの独立承認国を参照のこと。
  4. ^ 承認国の一覧はサハラ・アラブ民主共和国#国際関係を参照のこと。
  5. ^ 1979年以降、モロッコは西サハラ全域の領有を宣言しているが、国際社会でその宣言を承認した国は1か国も存在しない。
  6. ^ 承認国の一覧はアブハジア#外交を参照のこと。
  7. ^ 承認国の一覧は南オセチア#外交を参照のこと。
  8. ^ 承認国の一覧は北キプロス・トルコ共和国#国際関係を参照のこと。
  9. ^ 北の場合、朝鮮民主主義人民共和国憲法第103条で首都を南側統治下のソウルであるとし、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法では第1条で自国を「全朝鮮人民の利益を代表する自主的な社会主義国家」と規定している。また、南側も憲法第1章でわざわざ自国の領域を「韓半島(朝鮮半島)とその付属島嶼」と明記し続けている。
  10. ^ 非承認国の一覧は朝鮮民主主義人民共和国#国際関係を参照のこと。
  11. ^ 1983年10月のラングーン事件を機に、同年12月2日に国交断絶。玉城素「苦境脱出のための混迷と模索:1983年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア・中東動向年報 1984年版』アジア経済研究所、1984年、65・81ページ。
  12. ^ 1983年10月のラングーン事件を機に、西サモア(当時)は同年12月22日に国交断絶。玉城素「苦境脱出のための混迷と模索:1983年の朝鮮民主主義人民共和国」『アジア・中東動向年報 1984年版』アジア経済研究所、1984年、65・81ページ。
  13. ^ ポツワナ、北朝鮮と断交 - 人権侵害報告書受け - MSN産経ニュース2014年2月21日配信。
  14. ^ 2017年10月、核・ミサイル問題を理由に国交断絶。「北朝鮮と近いと言われたポルトガルも42年ぶりに外交関係を断絶」 『中央日報日本語版』 2017年10月12日。
  15. ^ “ヨルダン、北朝鮮と国交断絶 米国に同調”. AFPBB. (2018年2月2日). http://www.afpbb.com/articles/-/3160896 2018年2月19日閲覧。 
  16. ^ キューバは1949年から1959年まで韓国と国交を有していたが、キューバ革命を機に断絶させた。詳細は大韓民国の国際関係#キューバを参照のこと。
  17. ^ マケドニア共和国と韓国が国交を有さない理由は大韓民国の国際関係#マケドニア共和国を参照のこと。
  18. ^ 마케도니아에 한국대사 없는 건 알렉산더 대왕 때문 ?中央日報2015.02.28.配信記事
  19. ^ 非承認国の一覧はイスラエル#国際関係を参照のこと。
  20. ^ ミンスク協定の締結には、ウクライナ政府・ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国の他に、ドイツフランスベラルーシ、及びロシア連邦が関わっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]