乞食坂

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乞食坂(こじきざか)は、東京江戸)に古くからある坂道の名称である。よく知られる乞食坂には、以下の四箇所がある[1]

  1. 日暮里の御殿坂
  2. 牛込岩戸町の袖摺坂(そですりざか)
  3. 四谷南寺町暗闇坂
  4. 雑司が谷の小篠坂(こさざざか)

概要[編集]

乞食坂という坂は、かならず寺院の多い場所にあり、その横道や裏道に位置している[1]。寺院の門前はかつて、一年中で最も人出が絶えない場所であり、乞食坂はこうした盛り場に出かけていく乞食の通路であり、休憩場所であったことに由来する[1]

日暮里の乞食坂[編集]

日暮里の乞食坂は日暮里駅近くにある寺、本行寺の前にある坂道である[1]。正式な名称は御殿坂。

現在は鉄道の駅やレールによって坂は半分あまりに断ち切られてしまっているが、かつては坂下に乞食小屋があった[1]。坂上は江戸時代末期に遊山場所として繁栄し、仏寺の多い「日暮の里(ひぐらしのさと)」である[1]。日暮の里にある妙隆寺の隣には七面社があり、ここは寛政年間には延命院として延命日道[要曖昧さ回避]色欲両道の稼ぎ場所であり、こうした盛り場と乞食小屋との間に「乞食坂」の名が付くのは必然であった[1]

牛込の乞食坂[編集]

袖摺坂 (2010年12月)

牛込の乞食坂は岩戸町から南へ、北町と袋町との間へ登る坂で、本名は袖摺坂(そですりざか)である[1]。幅一間に足りない狭い坂であったが、坂の西側には大きな榎があり、また坂下の左手には南蔵院の弁天堂があり、坂上の袋町には有名な光照寺の地蔵尊や行元寺がある[1]

こうした寺町の間にあって、しかも寂しい横町の坂であったため、この坂は昼も夜も乞食の休憩場所となっていた[1]

四谷の乞食坂[編集]

付近には寺院が多く、また人々の遊山場所もあったことから、この坂を通るといつも一人二人の乞食がうずくまって休んでいた[1]。別名を、「茶の木坂」とも呼んだ[1]

雑司が谷の乞食坂[編集]

文京区大塚五丁目と豊島区雑司が谷一丁目の境界、本浄寺前辺りから池袋のほうに登る坂である。もともとは畦道のような狭い坂で、「小笹坂」「小篠坂」とも言われる[1]。付近には寺院が多く、また人々の遊山場所もあったことから、この坂を通るといつも一人二人の乞食がうずくまって休んでいた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「乞食坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行