上原立斎

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上原 立斎(うえはら りっさい、1794年寛政6年〉 - 1854年2月15日嘉永7年1月18日〉)は、江戸時代後期の儒学者近江国高島郡(現・滋賀県高島市)出身[1]

旧姓は多胡、名は正福、通称は甚太郎[要出典]

来歴[編集]

大津で、若林強斎の流れをくむ川島栗斎に儒学を学ぶ[1][2]山崎闇斎を祖とする「崎門」の一員として名をなし、梅田雲浜は京都で勉強していた折に立斎の門下生となる[1][2]。立斎は雲浜の才を認め、娘(上原しん)を嫁がせた[2]

嘉永7年1月18日没(享年61)[注釈 1][要出典]。大津の大練寺に葬られた[1]

門人には雲浜の他、池上隼之助・笠夕山等がいる[要出典]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 安政」への改元は旧暦の同年11月27日で、立斎の没後。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 歴史散歩 その(2)神出 - 園城寺(三井寺、「車路。歴史の重みと貴人を乗せた牛車が行く」の箇所を参照)
  2. ^ a b c ★上原立斎★ - 高島市立図書館(高島ものしり百科・先人たち)

参考文献[編集]

  • 佐伯仲蔵『梅田雲浜遺稿並伝』有朋堂書店、1929年